「お金を流す」という考え方があります。
「無駄金を払う」という言い方もできます。
これは、因縁を流し新たなことを呼び込むために有効です。
日々生きていると、それと意識しなくても恨みを買ったり妬まれたりするもの。
そうしたことを、流してくれるのが、
お金を流す、無駄金を払う、という行動です。
もっとも、恨みとか妬みというのは基本的に相応の地位や経済力のあるところに向かうものなので、何者でもなく何も手にしていないところでは、あまり実感を伴いにくいかもしれません。
「ノブレスオブリージュ(noblesse oblige)」
という言葉があります。
「高貴な身分には義務が伴う」
というような意味で、一般的に財産、権力、社会的地位のある人は、庶民を慮り施しをする社会的責任が伴う、ということを示します。
日本では、与謝野馨の甥である与謝野信氏(1975年生まれ)が千代田区長選に出たときに、座右の銘を問われて「ノブレスオブリージュ」と答えて叩かれていましたが、
個人的には、彼のような家柄の人が若いうちからそれを意識するよう教育を受けていたのはさすがだな、と思ったものです。
繁栄し続ける家系というのは、そのようにきちんと社会的責任を果たしているものです。
逆に言えば、そうした繁栄している場所では、割と明らかに「妬みや恨みが溜まったことによる因縁」の恐ろしさを実感として知っている、ということでもあるのかもしれません。
庶民の場合、上にも書いた通りなかなか気づきにくいのですが、それでも少しずつそうした因縁は溜まっていきます。
なので、気づかなくてもそうした対策を日々取ることが望まれる気がします。
私の周りにはけっこうそういう人も多くいます。
敢えて百貨店で定価で買うとか、
敢えて割引を使わないとか、
敢えて知り合いのものを買うとか。
経済的には不合理で、見る人によっては「情弱」と揶揄されたりもしますが、
側で見ていると、品がいいなと感じたりします。
2002年のノーベル経済学賞受賞者であるダニエル・カーネマンという人がいて、「トクをすること」が「幸せであること」に直結しないということを言っています。
「トクをする」という現実よりも、「無駄金を払う」ことで得た記憶の方が幸せに直結するということ。
それにしても、
「カーネマン」という名前、日本語にすれば「金マン」「金万」、お金の仕組みを語るのにふさわしい名前だな、と思いました。
ちなみに、私は今年来年は、貯金をしないことと共に、お金を流す、無駄金を払う、ということを意識しています。
天中殺期間中なので、蓄財をしないほうが良いだろうというのがその理由だったのですが、なんとなく平和な毎日な気がします。
天中殺期間が終わっても、続けるかもしれません。