対冲についての仮説です。
対冲とは、十二支を円に並べて真逆の干支同士の関係です。
西方(日柱)に対冲がまわると離婚するとか恋人と別れるとか、会社が潰れるとかいう人がいます。
間違ってはいないと思うものの、
私の解釈はちょっと違います。
西方は結果、現実の形、有形となったもの、と高尾宗家の教科書には書いてあり、
それが対冲(破壊、分解、分析)されるその具体例が離婚とか会社の倒産ということなので、
結果や有形の形を目指さなければ、特段の影響はないのではないか?と思っています。
算命学で「結果」という場合、
それは万世一系が継承される基盤に寄与するかどうか?ということです。
平たくいえば、
男の子が生まれるかどうか?
そしてその子が安定的な基盤をもって家を繁栄させていけるか?
ということです。
算命学ではいろんな事象を見ることができますが、目的は、万世一系と家の発展に付随するもの。
そう考えると、
それらに寄与しない限り、
言い換えれば割と枝葉末節な日々の「結果」にはあまり影響はないかなぁ思います。
例えば、
結婚して家を継ぐとか、
昇進昇格につながってそれが自分の「役割」を果たすことにつながる限りにおいては壊れやすいかもしれませんが、
結婚や昇進昇格が、「役割」を果たすことを目指すプロセスであって、プロセスにおいて大した現実的利益のない場合は、影響を受けにくいように思います。
あるいは、結婚を目指す恋愛は西方を対冲されるときに壊れやすく、結婚を目指さない恋愛は影響を受けにくいとも思います。
持てるものが大きいほど影響が大きいのが西方の対冲です。
「終の住処」という言葉があり、
これは「最後に行き着く安住の場所」という意味ですが、
この「終の」という枕詞がつくような位置付けのものや人が揺らぐのが西方の対冲の時期ともいえます。
「安心を揺らがせる」時期というか。
よって、何事も「安心」できない状況の中でプロセスとして捉えられるようにしていれば良いのではないか?
と思っています。
繰り返しになりますが、西方は有形・現実の結果なので、そこを対冲されて影響を受けるのはそれらを持っている人です。
なので、それらを持っていない人は影響を受けないし、相対的にまだまだ人生の途上にある若いうちは影響を受けにくいものでもあります。
「身軽」であることが対冲の禍を避ける方法ともいえそうです。
ちなみに、刑は自分から起こす争いやトラブルですが、対冲はトラブルやら争いを受ける方。
なので、なかなか防ぎようがないものです。
しかし、たとえ対冲の影響があったとしてよ、自責でない分、余計な因縁を残すこともないのでむしろ楽でもあります。