人体星図の星は、その光る時期が若年期、壮年期、老年期の3つに分けられます。
そのことを、ちょっと別の角度から整理してみました。
人生は、自分の中に3人の人が生きる三部構成の物語といえます。
☆①②
③④⑤
⑥⑦⑧
若年期は、②の年代の登場人物が、①と⑤の個性をもって自分の身体の中にいて世の中に対して反応します。
①は目上などの場所、⑤は友達などの場所ですが、これは言い換えれば、子供の頃(社会に出る前)は、世界は目上や友達しかいない時期、自分の本質の自覚もない時期なので、①②⑤しか出てこないとも言えます。
壮年期は、⑧の年代の登場人物が、④と⑦の個性を持って自分の体の中にいます。
この人は、若年期の登場人物がその役をきっちり果たすと20代くらいで表に出てくることもありますが、
そうでなければ30代後半以降に出てくることもあります。
言い換えれば、
①や⑤の位置の人(目上や友達)との関係性が成熟し、その中で自己を見つけられた人から④(自分の本質)と⑦(目下)の星を光らせることができるとも言えます。
なお、若年期の星は消えたわけではなく、目上の人や友達や兄弟、親との関係においては引き続き①や⑤が光るのですが、④や⑦が光り始めることで、抑制されたりバランスしたりと、存在感に変化があります。
老年期は、⑥の年代の登場人物が③の個性を持って自分の体の中にいる時期です。
③は配偶者の位置といわれますが、厳密には「自分の使命をコンプリートするための助手」のような位置付けです。
古代東洋において、本来の配偶者の役目はそのようなものであったともいえます。
自分の使命を認識しないと、どのような助手が必要か分かりません。
よって、壮年期においてきちんと自分の本質を知り、自分の使命を認識した人が、適切な助手(配偶者)を得てから③の星が光り始めます。
だいたいそれが「宮仕え(サラリーマンなら会社勤め)」を終える時期、とされています。
以前、理的結婚と情的結婚について書きましたが、人生の使命を認識した上でその助手として配偶者を選ぶのが理的結婚、そうでない結婚が情的結婚という言い方もできます。
理的結婚の場合、配偶者選びは助手選びに似てきます。
結婚は最高の運の改良手段ともいわれますので、使命をコンプリートすることを意識するなら、それも良いかもしれません。
なお、ここまで、登場人物的角度で整理してみましたが、もともと人体星図の位置はスタートとゴールも示しています。
⑤は現実のスタート地点、
③は現実のゴール地点、
④は精神のスタート地点、
①は精神のゴール地点です。
言い換えれば、
若年期に光るべき星が、
「現実」のスタートであり、「精神」のゴール、
壮年期に光るべき星が、「精神」のスタート、
老年期に光るべき星が「現実」のゴール。
「現実」が、若年期に始まり老年期に終わるのは一般的な認識通りですが、
「精神」は壮年期に始まり、若年期に向かう(戻る)ということで、これは精神の鋳型は生まれたときに決まっているということでもあります。
大運の初旬で回る星も、自分が向かう場所の一つですが、生まれたときの「鋳型」というのは、私たちが認識している以上に重要な意味がありそうです。
ちょっと混乱しそうな内容かもしれませんが、東洋思想はそうした時間感覚の不思議な感じが実は常にあります。
この感覚になれることが、算命学を学ぶ第一歩、と思っています。