天中殺の前や大運が切り替わる前の時期に「お知らせ現象」というのがあります。
その話を聞いたとき、
「神様のお告げが聞こえるなんてありっこない!」
と、思ったのですが、これは「聞こえる」のではなく、「体験」として起こるものでした。
その先に起こる運気の変化を予め予告し、それに備えることを促される出来事のことを「お知らせ現象」といいます。
年運の天中殺の場合はその半年くらい前、
大運の切り替わりなどはその数年くらい前にその「お知らせ現象」というのが起こると言われます。
本来の宿命から大きく逸れていたり、
減退期にあるのに飛ばしすぎていたり、
エゴが強く出すぎていたりすると、
ガツンとゲンコツが飛んできて、「ちょっと反省して精進して宿命をまっとうする道に戻りなさい」と促してくれます。
そんなばかな!
と多くの人は思うはず、ですが、
ただ今天中殺中の私は天中殺に入るちょうど半年前に骨折しました。
既に算命学の勉強を始めて話には聞いていましたが、「あ、コレか!」と納得。
そこから大きく軌道修正し、活動範囲を縮小、行いを正して一足早く東洋思想を学ぶことに集中し始めました。
日々の出来事の意味というのは、意識しないとなかなか気づけないものです。
モノゴトの因果を内省する習慣をつけると、少しずつ気づけるようになり、
慣れると、ちょっとおかしいこととか、困ったことがあったときに、その原因を自覚できるようになり、大ごとになる前に軌道修正することができるようになります。
ちなみに、算命学は40歳以降でないと、なかなか理解できないもの、と言われるのは、因果の分かりやすい経験が積み上がるのにそれくらいの月日がかかるからです。
しかし、若い人でも身の回りに起こることの因果に敏感な人は、年齢にかかわらず理解できますし、40歳以降でも、因果に鈍感な人はなかなか理解できないかもしれません。
もっとも、気づくから良くて気づかないから悪いというのではなく、気づいたらラクですよ、というだけのことであったりもします。
さらに加えると、「行いを正す」とは、「いい人になる」ということとは異なります。
一般的な「いい人」がみんなに親切な人であるとすれば、「行いを正す」というのは悪いもの(人や場所)には近づかず、極端に喜ぶとか興奮するものを避け、常に精神の中庸を保つということです。
そのためには、何が良くて何が悪いのかのモノサシを自分の中に構築する必要があります。
東洋思想の学びは、そんなふうに積み上がっていくもののようです。