先生に勧められて四柱推命の本を読んでみて、なぜ勧められたかがわかりました。
算命学は年月日の柱、3つでみますが、
四柱推命は年月日と時間の4つでみます。
算命学でつかう年月日はそれぞれ陰陽が明確にあり、一極二元の思想に貫かれていますが、
四柱推命で加わる時間というのは陰陽が曖昧であり、そこに一極二元を見出すことは困難です。
60分の時間の中の半分を陰陽に分けるその区分を人間は知覚できませんし、そもそもですが、近代科学が導入される前に時間を分単位で正確に捉えられたとも思えず、
実際中国の歴史にこの時柱を含む「四柱推命」を見ることはできなかったりします。
中国という国は奇数を重んじる国なので、
そもそも4という数字で何かが定義づけられることはなく、
四方八方というその方位においても、中心には常に極である真ん中が存在し、
極は帝王の視点なので、その極があってこその4であり8であるといえます。
その意味では、明治後期以降、大衆に人気を博した九星気学のほうが、「9」という奇数を使っている点ではより東洋思想に忠実な印象ともいえます。
4の数字は西洋に起源があります。
西洋は、自然事象を4つに分けました。
その歴史はギリシアに遡り、火と風と水と土をもって四元素とし、それを世界の素としています。
(イスラム教やインド哲学でもこの四元素を使います。一方、これに対して東洋思想では、木と火と土と金と水とをもって五行としています)
4という偶数をつかうのは、キリスト教支配においてキリストの視点を外に置き、人民統治において安定を志向する意図があります。
偶数は人民の数字、奇数は統治者の数字ともいえます。
なお、キリストが入るときはやはり偶数ではなく奇数、3の数字で語られます。いわゆる三位一体で、父と子と聖霊のように。
先生に「ちょっと寄り道してみる?」
と勧められて読んだ四柱推命の本。
数字の哲学と合わせて気づきが多く、
改めて算命学に気持ちを投じる良いきっかけになりました。