金烏玉兎庵

人生の鋳型と肥料になる人の話

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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※観念的なお話です。

世の中、怠けてみても良いですよ、という人がいます。
その方が、いろんなことがスムーズにいく人です。
あるいは、
無駄遣いに見えるような散財を、してみたほうが良いですよ、という人もいます。
そうすることで、お金がザクザク入ってきたりします。

 

宿命の中にある様々な要素は、
自分の前に伸びる人生の鋳型のようなものなので、一つ一つ、そういうの鋳型の穴をクリアしていく(埋めていく)ことで、デコボコがなくなり道が整い、人生の道のりは穏やかなものとなってスピードが加速します。

 

法律に照らしてこれはダメ、
将来のためにこれは我慢、
人間関係を維持するためにここは背伸び、
などといったことを続けていると、
そのうちガツンと強制的にアクシデントが発生し、
他律的に怠け者のレッテルを張られるとか、
望まない形での出費が必要になったりします。

 

よって、ネガティブな要素というのは自発的に、そしてできるなら人生の早い段階でこなしてしまうのが良いように思います。

そうすることで、
鋳型の穴が埋まっていきます。

 

少し前に、
異常干支の年というのは何かしらおかしなことが起こるけれど、すべてがおかしいわけではないということを書いたことがあります。

それと同様に、宿命の要素も何かしら消化すればすべてにわたってその要素に囚われるものではありません。

 

例えば子丑天中殺は北方欠けで、父親縁が薄いといわれますが、父親でなくても北方の存在、例えば上司や目上との縁が薄ければ父親は維持できることもありますし、
で壊れるものも、何かしら消化すれば、すべてその要素に囚われなくなります。

 

鋳型は宿命の鋳型がベースとしてあって、
後天運にめぐる星で変化します。

 

鋳型が見えるようになると、物事の流れが割とくっきり見えるようになり、進むべき方向とか選ぶべきものが明確になるように思います。

 

威型を眺めるときに大事なのは、
算命学の教科書にあるワードに拘ってはいけないということです。
あくまで威型の形としてイメージすること。

 

例えば、辰巳天中殺は精神虚、天上欠けで現実主義といわれますが、それをもって「学問はまるで向かない」などと捉えてはいけないということです。
アインシュタイン理論物理学の権威であり知の巨人ですが、彼は辰巳天中殺の人。
理論物理学の世界を徹底的に「現実的」に追求した結果がノーベル賞でした。

 

鋳型のペースになるのは天中殺の欠けと傾斜です。
算命学を深く学ぶ人はまず天中殺型でものを語ることが多いですが、それはベースに天中殺があることをよく知っているからだろうと思います。

 

天中殺の鋳型に星図や命式の要素が加わって「自分の鋳型」ができます。
そして大運やら年運やらでその鋳型が変化します。

鋳型の通りに生きている人が、
世の中で活躍し、意義のあることを成し遂げることができます。
鋳型から外れている人は、なかなか活躍できません。

 

ちなみに、
これはなんとなく感じていることなのですが、
活躍できないというより、
鋳型の通りに生きている人の「肥料」になるんじゃないかと思うのですがどうでしょう。

 

ちょっと過激すぎますかね…。

でも、そんな印象があります。

 

例えば、インドとか中国とか、中東の国とか、
自由に生きられない数多の人の存在の上に「超大富豪」が存在します。

まぁ、アメリカなどもそうですね。
学歴のために何千万も借金をする人たち(彼らはおそらく必ずしも学歴を活かせる人ばかりではなく)の上に、超セレブな人たちがいますよね。

 

ふと、そんなことを考えたので記録しておきます。

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