天中殺は時間と空間の不自然融合であるといわれます。
六十干支の表を見るとよく分かるのですが、12の支(時間)に対して10の干(空間)しかないため、2つの支(時間)が余る、その期間を天中殺といいます。
空間、といって現代人が思い浮かべるのは地面と空の間とか、部屋の中の何もない場所なので、その空間がないといわれてもピンとこないと思うのですが、
古代人のいう「空間」は、目に見える風景全て、起こる出来事全て、手に入れるもの(触れるもの)全てを指します。
人間という視点があって、
それを取り巻くものは全て空間、
時間というのは空間と空間をつなぐものです。
空間を生きる人間は、空間から空間へと渡り行くので「目に見える時間」といわれたりもします。
天中殺期間中は、その「空間」がないので、人間は行動することも話すことももちろんできますが、反応を期待することはできない時期です。
自分の考えやらビジネスやらを、積極的に展開しようとしても空回る時期、ともいえます。
観客のいない客席に向かって最大の演技をするとか、
代金を支払わない客に高価な商品を手渡す姿、などといわれます。
「空間」とは有視の世界(目に見える世界)、外側において物事を形成する場所なので、
それがない場合は、積極的に何かをしても実にはなりません。
一方で、無私の世界、内側へ向かうには適した時期で、例えば物事を学んだり、知識を深めたり、外側への反映を期待しないボランティアや精神修養には向く時期です。
あるいは、受動的な行動エネルギーの使い方に向く時期、という言い方もできます。
ちなみに、宿命に天中殺がある場合、
その誅殺されている分野においては、こうした受動的なエネルギーの使い方をもって結果を期待せずに行動するのが良いといわれます。
生年中殺は北と東、左肩
生月中殺は中央と南、左足、
生日中殺は西と右足が中殺されます。
※右とか左とかいう場合、星図では逆になるので東の上が左肩になります。
その意味では、
結果や反応を期待しないのであれば、
特に影響はない時期ともいえます。