Facebookを始めた当初から書いている「ループ」の謎が、算命学を学んでみて少し解けました。
時々書いているのですが、
私は20年くらい、繰り返し同じことが起こり続けて現在7回目のループにいます。
「同じこと」と書きましたが、微修正が加わりながらの7回目なので、1回目よりも過ごしやすく、3回目より穏やかに、5回目よりも冷静に、そのループを過ごしています。
算命学を学んでみてわかったのは、
そのループは私の生きるパターンであり鋳型であるということ。
人生には、同じことしか起こりません。
場所を変え、登場人物を変えながら同じことが起こり続けます。
ループだと思っていたそれは、
実は螺旋でした。
進むごとに大きく視界が開ける方向に向かっていたことも、
風景が変わらず、袋小路に迷い込んだようにぐるぐると進んでいるようだった時期もありますが、
冷静に振り返ってみると、それが螺旋であったことがわかります。
Facebookを始めたばかりの頃に知り合った方が、「7回目で終わる」とおっしゃって、
その意味が当時はよく分からなかったものの、その言葉を頼りに、ループから逃げるのをやめました。
ループを受け入れてみることにしました。
そうしてみての今も続く7回目のループ。
逃げるのをやめてみての変化は、
現状を肯定することができるようになったこと。
置かれている自分の環境、自分の人生の中に輝きと宝物を見つけられるようになったことです。
何が変わったわけでもないのに、です。
7回目で終わるループの「終わる」ことの意味は、何かが変わることではなく、何も変わらないことの中に価値があるということの発見でした。
自分を取り巻く人も出来事も環境も、
例えばひどい中傷やら諍いやらを含めて、
すべては自分の持つ星で構成された人生の鋳型の「1つの側面」です。
「言葉を話す人間」すらも、実は環境を構成し、自分の人生を彩る森羅万象の一部です。
人生の鋳型のどの側面が出やすいか、というのは年ごと、月ごと、日ごとに巡る自然の五行の気によって変わりますが、
事前にそれを認識していれば、いわゆる「リフレーミング」的に、コントロールすることができます。
ループはそれに気づく1つの仕組みなのだと思います。
ループは終わらないわけですが、ループが螺旋だと気づいた時点でループではなく螺旋になる。
そういうことなのではないかな、と思っています。