※生死にかかる少しセンシティブな内容です。
米プロバスケットボール、NBAのレーカーズの元スーパースター、コービー・ブライアント氏の事故による他界について、
気になって命式を拝見してみたところ、
「大活躍した場合、短命になる」といわれる型が見て取れました。
車騎星のような星なしに運動選手として活躍したこと、
普通命式で大活躍したこと、
冬至説にたてば大運、年運のダブル天中殺、ダブル対冲が重なること、など、様々に指摘できる要素はありますが、
やはりその型にあることが決定的な要素であったのではないかと感じましたがいかがでしょうか。
占い師は人の生死を占うこと、それを伝えることには慎重にになるべきであるため、これと指摘はしませんが、とても象徴的に感じられたので書いておきます。
人の活躍というのは難しいものです。
というのも、大きな活躍が命を縮めることごあるというのはよくあることだから。
その意味では、「平凡が一番」というのは、あながち負け惜しみでいわれることばかりではないのだろうと思います。
とはいえ、
大きく活躍する星回りに恵まれれば活躍に向かうのが必然であり、星通りに生きていれば、当然に大きな活躍をしてしまい、結果として短命になったとしてもそれが「命の意味である」という言い方もできます。
そもそもですが、
「長生きすることが善である」
という考え方は、現代においては当たり前のこととして語られますけれど、コトの本質を考えれば必ずしもそうではないともいえます。
星通りに生きることは健やかに発展する面もありますが、それが命を早々に燃焼し尽くしてしまう場合においては、「敢えて外す」「敢えて星通りに生きない」という選択もあるのかもしれません。
未検証なのでなんともいえませんが。
ただ、
例えば先日、杏ちゃんと東出さんについて書きましたが、あの夫婦はそれぞれが星通りにきっちり生きている結果として、互いの不一致点が明確に顕在化してしまったわけですが、
もし片方が緩慢に生きていたなら案外と不一致点も緩慢にしか現れず、妥協の余地を残した可能性もあるように思います。
一般的な夫婦、平たくいえば「平凡な夫婦」というのは多少相性が悪くてもなんとなく騙し騙し添い遂げられたりするのかもしれませんが、
活躍というのは星に忠実に生きた先にあるものなので、共に活躍する夫婦の場合は相性が悪いことは夫婦の関係を決定的に壊すことになる面は否めません。
夫婦が共に高いレベルで活躍するのが難しいといわれるのは、家系家族の運を分け合うのみならず、
きっちり宿命を光らせる結果、違いや差異を許容する「遊び」がなくなるから、という面もあるのかもしれないな、と思いました。
算命学では至るところで「一極二元」の視点を使いますが、この「星通りに生きる」ということについてもやはり一極二元的に、良い面と悪い面がある、ということなのだろうと思います。