算命学では天南星、天禄星、天将星を一つでも持つ場合、「身強」といいます。
なので、例えば若年期や晩年期に身強の星があれば、壮年期に身弱の天馳星、天極星、天報星などがめぐっていたとしても「身強」ということになります。
実際、壮年期の星が身弱であっても、他のどこかに身強の星がある人は「押し出しが強い」とか「動じない感じ」とかがあって、確かに身強の雰囲気があるので間違ってはいないのですが、
最近思うに、他の位置に身強の星があったとしても、ただいま現在のタイミングに身弱の星が巡っているような人は、「身強的な在り方」で世の中を渡っていこうとすると、何かと苦しいことになるように感じるのですがいかがでしょうか。
先日、天報星について書いたとおり、私は壮年期に天報星がめぐっています。そして晩年期に天将星があるため、気分は身強でその身強の在り方でもって世の中と対峙していく傾向があります。
例えば、大きな組織で働く人たちの例に漏れず「リーダーの在り方」とか「人を動かす方法」などをその手の本をたくさん読んでやってみようと幾度となくチャレンジしてきたのですが、それを天将星的なアプローチでガッツリ上に立ってやろうとしてうまくいったことはありません。
一方で、先日天報星について
『天報星の本質とは、その急成長や変転変化のほうではなく、それらが「無意識・無自覚」になされること、エゴが皆無の状態にあってモノゴトが完全な形でなされていくこと…の方にあるのではないでしょうか。』
と書いたとおり、自分の思いや意図を棚に上げ、仕事としてやるべきことや組織としてあるべき姿に“受動的に”フォーカスしていると、ほとんどのことが穏便に進みたいていのことがうまくいくように思います。
もう少し具体例を挙げます。
例えば、明石家さんまさんは晩年期天将星、壮年期最身弱の人ですが、目の前のひな壇芸人やら素人さんやらを「面白い人」に仕立てる名人で、自分はどこか引っ込んだ感じがあります。
最近は見かけなくなったみのもんたさんも、晩年期天将星ですが壮年期は天胡星の人、そしてご年配のご婦人方を「お嬢さん」と読んでお茶の間の人気を博したように、自分ではなく他者をテコにしておられます。
俳優の大泉洋さんも、その俳優人生(北海道から東京に進出された経緯など)を眺めれば天将星らしさも感じますが、晩年期に天将星があるものの壮年期は天胡星で、自分が一人ヒーローになるというよりは、まわりのキャストを引き立てながら自分がじんわりメインを張ってる感じの俳優さんです。
いかがでしょうか。
「身強」に属しつつ壮年期に身弱の星を持つこういう人たちの在り方や活躍方法を眺めてみても、やはり「身強」といいつつ壮年期にその星を持っていない人は、その在り方においてあまり「身強らしさ」を前面に出してはうまくいかないのではないかな?と感じませんか。
まぁ、よくよく考えれば当たり前で、おそらくそんなことにはずっと昔に気づいていましたよ、という方もおられると思うのですが、
なんとなく「身強です!」ということで押し出し強く世の中に対峙して苦しんでいる壮年期以外に身強の星を持つ人もけっこうおられるように感じたので書いておきます。
私がそうでしたし、それを変えてラクになったなーと感じるので、それを伝えたかったというのもあります笑
ちなみに、みなし天将星の場合はどうか?
例えば鳳蘭局などはどうかといえば、その偏りを徹底して顕現させているタイミングにおいて身強らしさを出していけばうまくいくのだと思いますが、日和ってバランスを目指しているときなどはそういう押し出しの強さは控えておいた方が良さそうな印象です。
写真は先日大阪からお越しくださった方の命式を拝見したときにお礼と一緒にいただいたカード✨
ありがとうございました♩
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