金烏玉兎庵

子丑天中殺と寅卯天中殺の消化の難しさ

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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これはあくまで体感なのですが、天中殺グループ毎の「あるべき生き方」において、それをきちんと消化できていない印象があるのは子丑天中殺の人と寅卯天中殺の人です。

今の時代において消化しにくいのがこの2つの天中殺なのかも?という気がしています。

簡単におさらいです。

子丑天中殺の人は初代運で、自分が一から何かを始める人。

午未天中殺の人は末代運で、継承したものをまとめていく、整理していく、終わらせていく人。

寅卯天中殺の人は継承運で、かつ身内や親しい人たちとともに何かをやっていく人。

申酉天中殺の人は継承運で、かつ知らない人や親しくない人たちも巻き込んで何かをやっていく人。

辰巳天中殺の人は家系の仕事・カラーとは別のことを現実の世界(商売とか)において追求していく人。

戊亥天中殺の人は家系の仕事・カラーとは別のことを精神性の世界(学問、芸術、宗教など)において追求していく人。

これは、かねがね書いている鋳型の原型なので、この型からはずれていると、どうにもこうにもうまくいかない、ということになります。

言ってみれば道無き道を進む感じ、応援のない中で頑張る感じ、神風に恵まれることなく自力で模索していく感じ、といえば伝わるでしょうか。

人生でうまくいくかいかないかは、もしかしたらこれが半分くらいかそれ以上を占めているのではないかとさえ感じます。ので、再三にわたり書いていて恐縮ですが、また書きます。

以下、最近の時流のなかで「迷える人」がたどる道筋を書いてみます。

①迷える人が何をすべきか迷ったとき、SNS全盛の今のような時代には、外向きに知らない人がたくさん集まる場所に行って一緒に何かをやろうぜ!みたいな話に寄っていきます。

「何かをしよう!」と思い立って外に出ていき知り合った人と何かをするというのはある意味シンプルで分かりやすく簡単ですし。

なので多くの「迷える人」はこのアプローチで社会に出ていこうとするのですが、これは申酉天中殺的なアプローチ。申酉天中殺の人はこうした動きによってその型を簡単に消化できますがそれ以外の人の迷いは晴れません。

②①のようにみんなと「何かをやる」ことに参加できなかった人は、誰かが何かをやっていることをサポートしてそれをまとめていく、上手に納めていく、ということに役割を見出します。これは①ほどeasyではありませんが、まぁ人が集まるところに行けば、それをまとめたり納めたりする役割は転がっているので、世の中のあちこちにその型を消化できる機会はあります。

よって、①が自分にとってハードルが高いと感じる人はこの②のアプローチへ向かいます。

しかし、これは午未天中殺的なアプローチ。午未天中殺の人はこうした動きによってその型をうまく消化していきますが、それ以外の人の迷いはまだ晴れません。

③①で知らない人と何かをすることも、②でみんなが何かやっていることをまとめることもできなかった人は、「それでは自分でやってみよう」と、見慣れた現実(精神性とは対極という意味での)において利益を追求したり名を上げたりすることに向かいます。自分のオリジナルを掲げて存在感を発揮し、独立した在り方として人の注目を浴びることもあります。これは辰巳天中殺的なアプローチなので辰巳天中殺の人はここでようやく「自分の道」を知り安堵しますがそれ以外の人の迷いはまだ晴れません。

④①〜③をやってみてまったくしっくりこなかった人は、「それならば」と現実とは対極の学問・芸術・宗教など精神性の世界に向かいます。

目には見えない奥深い世界、他の人には見ることの出来ない世界を見つめ、その世界を掘り下げ、そこに見えたものを現実に生きる人に披露することもあります。

これは戊亥天中殺の人の独壇場なので、自分にフィットする精神性の世界を見つけた戊亥天中殺の人は「これこそが求めていた世界!」と快哉を叫ぶかもしれません。しかしそれ以外の人はいよいよ迷いの中に沈んでいきます。

以上が「ふつうの悩める人」が何かをしようとしてたどる道筋です。

なんとなく、今みたいな時代にはよくある話、よくある流れだと思いませんか?

では子丑天中殺と寅卯天中殺はどうなるのか?

思うに彼らは①〜④よりももう一つ踏むべきステップがあり、それに気づかないかそのステップを踏むのが難しいために、天中殺の消化が難しいのではないかと思います。

例えば、子丑天中殺の人は、おそらく③や④は幾分その道と掠ります。入り口は③や④で、ここでも「一から始める思い」はあるのですが、子丑天中殺にはこれにプラスして「それが継承されていくための一」に自分がなるという自覚が必要です。

あるいは、寅卯天中殺の人は、おそらく②が幾分その道と掠ります。入り口は②でも良いのですが、その中で「本当に信頼できる人」「自分にとって身内のような安心感のある人」を選りすぐってその継承の役割を担っていく必要があります。

おそらく、子丑天中殺や寅卯天中殺の人が、こうした「プラスワンステップ」に気づき、それも含めて消化し始めれば、驚くほど人生は晴れやかに過ごしやすく気分の良いものになるのではないかと考えますがいかがでしょうか。

子丑天中殺と寅卯天中殺は、その意味で他の人より大変です。他の天中殺より重たい荷物を背負っているともいえます。

しかし、他の天中殺より余分に頑張ってその道を消化できたら他の天中殺より「良いこと」もあります。

子丑天中殺は年を重ねる毎に人生は楽になっていくものですし(北方欠けなので年を重ねるごとに目上の存在が減っていけば当然楽になります)、

寅卯天中殺の人は晩年においては年運でめぐる天中殺の現象が出なくなるといわれます。

ここまで書いて気づきましたが、

そう考えると、冒頭に「体感ですが」と書きましたけれど、算命学はもともと子丑天中殺と寅卯天中殺の消化の難しさは織り込み済みで、だからこそ彼らの晩年が健やかであることを説いているのかもしれませんね。

お昼ご飯を食べつつ、ハタと気付いて怒涛のように書き出したので、例によって乱文ですがひとまず参考に紹介しておきます。

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