金烏玉兎庵

牽牛星中殺の大義と役割

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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牽牛星というのは文官の星、組織の大義、権威の大義のために生きる星といわれます。

しかし、その牽牛星が中殺されている場合、「王家の反逆児」といわれ、最初こそ組織の大義のために生きるものの、その大義が「ふつうの組織」の枠を超え、壮大なものになり過ぎてしまうために、組織を壊してしまうことがあります。

つまり、王家に仕えているはずの人が、「王家の在り方」について自分独自の壮大なビジョンを持ってしまうがために、王家でもともと働いている人たちに「王家はこうあるべきだ!」とぶちかまし、もともとの「あり方」を破壊してしまう、だから「王家の反逆児」となるわけです。

なので、牽牛星中殺などがある人が組織で働く場合、自分の信じる「こうあるべき」を頑なに堅持しているとどこかで叩かれるかスポイルされます。気をつけましょう。

では、牽牛星中殺のある人はどうすればいいかというと、もっと壮大な組織(人類全体とか)や、壮大な権威(思想や学問の世界)などにおける大義を掲げて生きると良いだろうと思っています。

例えば算命学。

算命学のような学問の世界においては、どれだけ壮大な大義を掲げたとしても、叩かれたりスポイルされたりすることはありません。褒められこそすれ非難されることはないだろうと思います。(○○流、みたいな学問の組織や、大学の研究室などは別です。それは純然たる「ふつうの組織」です。)

前に書いたことがありますが、私はその牽牛星中殺があり、それも生月中殺なのでそれが壮年期にあります。実際、組織の中でぶつかったり叩かれたりスポイルされたり左遷されたり…いろいろ経験しています。(自分の「組織はこうあるべき」を棚に上げて以来、わりと穏やかな会社員生活を送っていますが)

そして、算命学を学び始めて以来、算命学、東洋思想にまつわることを自分がかかげる大義として掲げ始めて以来、人生がとても健やかに、発展的になったように思います。「大義のために生きている実感」を感じられるようになったというか…

牽牛星のある人には、そういう「大義のために生きている実感」が必要なんだろうと思います。私のように牽牛星の同質五行の星がいくつもある人ならなおさら「大義」が必要で、それなしに生きるのは苦痛以外の何者でもないように感じられるもの。

このあたりは、おそらく金性の星(車騎星、牽牛星)が星図にない人には理解できないようにも思いますが、もしそれらの星をお持ちであれば、是非とも「大義」について考え、どんな大義のために生きるのか?ということを自分の中で定めておくのが良いだろうと思います。

それが中殺された牽牛星なら尚更です。

ちなみに、牽牛星中殺のある人は、九流の術士(儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・雑家・農家の9つ)が適職であるといわれますが、これは言わば「組織に属さずその世界を追求し、組織ではなくその職を全うすることを大義として生きていくことができるからだろうと思います。

実際、私は徹底的にどっぷりと算命学の世界を追求しはじめて、無駄にイライラすることがなくなりました。上司とも喧嘩しなくなりましたし笑

先日、私の天中殺中の過ごし方を知っている子丑天中殺の友人が「とても真似できません」と言っていましたが、私はそういう背景があって、そういう大義を掲げてやっているからできるのであって、そうでもなければ確かにとても出来たものではないかもしれません。なので真似しなくても大丈夫です笑

しかし、そういう「徹底的に」やってみた人を一人知っていれば、それをベンチマークして自分なりに工夫することができるようになります。

その意味で、誰かの参考になるようなことをやってみるというのも私の一つの役割なんだと考えています。

金性の星(車騎星、牽牛星)がいくつも星図に出てくる人は、「古い家系」に生まれるといわれます(私自身は古い家系なのかその認識はあまりないのですが)。これは、脈々と続いてきた家系に生まれたら、どこかで人生を大義のために投じなさい、ということなのだと思うので、私心を棚に上げて、役割を果たせるよう精進したいと思います。

…こういう書き方をすると悲壮感がにじむのですが、貫索石門や禄存司禄がないとそれほど負担感はありません。「理解」はされにくいものですが、こうして掘り下げて分析してみると、それが自分にとっての「自然」なんだと感じられるから不思議です。

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