五行が星図にそろう人、というのは、ある面ではバランス感覚もあり、まわりの人たちの気持ちも大抵の場合は理解できる人です。
星図に五行が全てそろうということは、同質五行が星図の中になく、五行の5種類の主星が一つずつあるということなので偏りがありません。
これは、東洋思想で尊ばれる「中庸」を体現できるともいえ、恵まれているという見方もできます。
しかし一方で、五行が星図にそろうとバランスよく、ある意味何でもできるけれど、まわりの人の気持ちが理解できる分、ふつうの人以上にまわりへ配慮する(バランスを取ることを考える)ので、突き抜けることが難しくなります。
そもそも「突き抜ける」ことが必要かどうかということについていえば、
たぶん生ぬるい環境の友人関係を維持するとか、町内会や仲良しグループで嫌われないようにうまくやるとかいうときには「突き抜ける」ことはむしろ邪魔になると思うのですが、
何か「この世で与えられた自分の役割」を発揮しようとする場合には、「突き抜ける」ことはおそらく不可欠なのではないかと思います。
「突き抜ける」とは偏りです。
別棟のほうで偏りが動きをつくると書いたとおり、突き抜ける=偏り=インパクト、なので、突き抜けたほうが世の中へのインパクトは大きくなります。
その結果として不興をかう、ということはあるかもしれませんが、通時、何かをしようとする限り、誰かしらの不興をかうのはある面では当然で、万人が両手をあげて歓迎してくれるようなことというのは「毒にも薬にもならない」というだけのこと。
つまり、本質的に何かをしようとするなら、突き抜けて偏りをつくり、インパクトを与えてその結果として一部の人から不興をかうのはすべてワンセットで考える必要があります。
偏りは星図の中にある同質五行をもってそれを見るわけですが、同質五行があるということは、その星の意味において拘りが強くなります。
(同質五行がいくつもあると貫索星の質を持つ、というのはそういうことです。)
星図に五行がそろう=同質五行の星がない=拘りが育ちにくい
ということなので、これはときに「プロ意識」が育ちにくいということにもつながります。
では、五行がそろう人はどうすればいいか。
これは、局面ごと(星図の星の位置ごと)に集中して星を消化することを意識すれば良いだろうと思います。
全部に気を配ろうとするとぐるりと巡って結局どこにも向かうことができないのですが、
例えば「稼ぎにいく」という局面であれば東の星を光らせることに集中するとか、目下に向かうときには南の星を集中して意識する、とかです。
局面ごとに「集中する」「自覚を持つ」ことにより、活躍に向かいやすくなるのですが、
これは言い換えれば、その局面においては「まわりを気にしすぎない」ということでもあります。
星の位置をきちんと意識して「この方向ならこの在り方を貫く」のように決めてしまわないと、五行がそろう人の場合、緩慢に人生が過ぎていくこともあるので注意が必要です。
なお、「突き抜ける」とは、個人が「本領を発揮する」とも言い換えられるのですが、
個人が本領を発揮しようとする気持ちを挫くような生ぬるい環境や、突き抜けるのを邪魔するような友達、揶揄するような人たちというのは邪魔にしかなりません。
なので、何か覚悟があるなら環境の整備はしたほうが良いだろうと思います。