これは雑感なのですが、
上格の人が上格らしい環境ではない場所(下格の環境)で生きている場合、驚くような品のなさを示すような気がします。
ちなみに、
上格とは、ルールが明確な世界、地位や身分が尊ばれ、客観性や公平性がある世界。
例えば先進国は法治国家ですし、大企業は社則が明確にあるので上格の世界です。
一方下格とは、
実力主義、弱肉強食、ルールよりもコネやツテがものをいい、
地位身分より金や腕力が物事を動かし、
主観的でときに不公平、それでいて調和が成り立っている、
例えば発展途上国や田舎の町内会のような世界といえば伝わるでしょうか。
平たくいえば、
上格は法律によって成り立っている世界、
下格は仁義によって成り立っている世界、
と言えるかもしれません。
上格の人というのはルールの中でうまく身を処します。
既存の価値に礼を尽くし、多少無駄とも思えるような社交辞令も怠りなく、法治国家や組織を保つことに寄与できます。
上格の環境にあることによってその良さが出て、調和的にその環境を活かすことができます。
一方、下格の人はルールよりも実を取り、多少人を貶めたり出し抜いたりします。
しかしそれは下格の環境では必要不可欠の知恵であり処世術。
そもそも弱肉強食、実力主義の世界です。
ルールなしの世界と言いつつも、実際には実力とか経済力とか何らかの暗黙の上下関係や力関係がしっかりあって、
下格の人たちはそういう環境を仁義に則って調和的に活かしているように思います。
つまり、
上格の人は上格のルールを活かすことで上格なりの資質を活かすことができ、
下格の人は下格の暗黙の力関係の中で下格なりの資質を生かすことができる、ということ。
…なのですが、
上格なのに下格の環境にいる人はどうかといえば、
こういう人たちは下格の環境にあって生来の上格っぽい在り方ではなく「取ってつけた」下格っぽい在り方をもって生きていて、
下格の悪い面、実力主義なり弱肉強食なりの世界を生き抜くための狡さや姑息さ、ケチで出し惜しむ質、一言でいえば「下卑た感じ」などが壮大にクローズアップされるように思ったのですがいかがでしょうか。
サンプルが少ないので断定的に言うことは避けますが、どうにも品がない、というのは、上格にあって下格の環境にいる人だなぁとハタと気づいたので書いておきます。
ちなみに、下格というのは実力主義の世界ではありますが、そこに生きる下格の人は、そこに独自の仁義のようなものがあるという点において決して下品ではなく、むしろ高潔であることもあります。
その意味では、上格下格というよりも、
宿命と環境の不一致がそういう品のなさを生んでしまうのかもしれません。
なお、これは様々な人の命式を拝見するようになってからのことですが、その人が宿命に一致しているかどうかというのは自然さとなって現れるように思います。
宿命と不一致の場合、うまく言葉にできないものの「なんとなく変」な感じが確かにあります。
今回の下格の環境にいる上格の人というのもそういう不自然さからくるもののように思ったのですがどうでしょう。
補足すると、上格の人が上格らしさを失わずに下格の環境にある場合には
「掃き溜めに鶴」
…ような輝きをもって在ることもあります。
(下格の環境が「掃き溜め」というわけではありません、念のため)
そう考えると下格の環境にあって品のなさをみせる上格の人というのは「上格らしさ」を放棄した人なのかな?とも思いました。仮説ですけれど。