十二大従星というのはその年齢の時期を迎えたり、その星に象徴される在り方を備えることでキラキラ光るという性質があります。
たとえば、
天堂星という星は、壮年期くらいから年を重ねるごとに良さが出てくる星ですし、
天庫星というのは一家の墓を守る覚悟をし、一家をまとめる役割をきちんと果たしていくことで良さが出てくる星です。
天将星が陽転の難しい星といわれるのは、
天将星が象徴する「棟梁」の立場や役割を得る人が多くはないことに依るのだろうと思います。
これは、「星の呼応」ともいうべきもので、
その星の在り方や考え方を備えてくるとその星が光出す、という仕組み。
よって、若年期に天堂星や天胡星のような老人や病人の星がめぐると、例えば天堂星の落ち着きや天胡星の感性豊かな質は備わるものの、
その不一致から、若いうちは存在感を発揮するとか充実感を感じるとかいうことが出来にくかったりもします。
もちろん、
その星らしい環境に合えば、
例えば天堂星なら老成した意識が備わる古典的な世界や、天胡星なら波動に敏感であることが活かせる音楽の世界などにあればキラキラとした光が発せられることもありますが、
なお、このあたりは個性により何が響くかは千差万別なので、天堂星があれば古典、天胡星があれば音楽で必ずその光や才能が顕現するわけではありません。
もしそういう若年期の星を活かすことを本気で考えるなら、その星の表象するものを様々に試しながら探していく、という根気が必要となるだろうと思います。
探さなくても、注意深く子供を眺めてその興味の先を辿れば簡単に分かることもありますが、少なからず親は子供に「自分ができなかったこと」を望む傾向にあるので、そこには難しさがあるかもしれません。
しかし若いうちに星が光るものに出会えた人は、若いうちから活躍に向かうことができるので、
長い目で見ればその方が良いだろうと思います。
存在感を発揮したり充実感を感じたりするには星の在り方との一致、星の呼応が必要ということを逆にいえば、
不一致の間は凡庸に、多くの人の中にあって埋没し、充実感や満足感を感じることが少ないということでもあります。
よって、人生を謳歌するとか、あるいは何か「これ」という目的をもって何かに取り組もうとするなら、そのことを強く意識した方が良いだろうと思います。