社会にでてある程度大人になるとか、
組織などである程度の年数働いていれば分かることですが、
誰かを否定する、
何かを否定する、
ということをもって自分の立場や在り方を表明する、ということがあります。
例えば、
「あの人の適当なやり方は許せない」
と表明することが、
自分は適当な人間ではなく、適当なことを許容しない人間だと宣言することと同義であったり、
「あの店の接客は耐えがたい」
と主張することが、
自分はもっときちんとした接客に足る人間であり、失礼な接客するような店は使わないと宣言することと同義であったりします。
こうした強い否定による表明、宣言は、攻撃的ではありますが、別の見方をすれば自分の立場や役割を明確にする面もあり、
星でいえば車騎星や牽牛星のある人の場合、
そういう否定や拒絶というのがその星を光らせることにつながるものでもあります。
よってそうした否定や拒絶、ときに攻撃として受け取られるそれらが円満な世界な平和な組織において歓迎されない場合においても、
一概に「悪いこと」だとするのは誤りだろうと思います。
‥なぜならそれが彼らの役目であり存在の意義だから。
但し、その否定や拒絶が軸を欠き、日和見主義的なものである場合は別の話。
例えば、
「あの人の適当なやり方が許せない」
と言ったその同じことを別の人なら許容するとか、
「あの店の接客は耐えがたい」
と言ったその店を、結局使うとか、
そういうことを何らかの合理的根拠なくしてしまうと途端に歪みます。
その拒絶や否定が恣意的なものと受け取られるようになり、単なる我儘、あるいは傲慢さとして周囲の理解を得られないものとなります。
そして彼らの役割や存在意義が揺らぎます。
もっとも、
そういう役目役割や存在意義に固執する在り方は人を遠ざける面もあり、
少しくらい緩んだほうが人間関係は円満になるということもいえるので、
見ようによってはそうやって緩んだほうが幸せであるという捉え方もあります。
但し、そうやって緩んでしまえば、
その本義である役目役割を果たす、ということは歪み、本来得られる正義や名誉は得られず非難されたり嫌われたりするかもしれませんし、
それによりその星を持つ本人は葛藤を抱えることになることもあるだろうと思いますが、
そのほうが大衆に近づく面はあるかもしれません。
いずれにしてもそう考えると、
名誉や正義というのは大衆的な円満さとは対極にあるということがよく分かります。
星でいえば、
車騎星、牽牛星を緩める、剋すのは鳳閣星、調舒星です。
鳳閣星のおおらかさや、調舒星の感性感覚(役割を前提とした場合の調舒星はある種の我儘となる)は、
車騎星の正義や牽牛星の名誉を剋します。
よって、
車騎星牽牛星を持つ人の星図に鳳閣星調舒星がある場合はもちろん、
車騎星牽牛星を持つ人に後天運で鳳閣星調舒星がめぐるとその在り方の緩み、歪みが生じます。
そしてそれは葛藤を伴うので感情的な爆発につながることもまたあります。
緩み歪んでも円満を目指すのも良いですが、
もし車騎星牽牛星の正義や役割をきちんと発揮していこうとするなら、
それをもって立場をパキッと明確にしていこうとするなら、
禄存星司禄星の力を借りてみる、ということを検討実践してみても良いだろうと思います。
このところ、
この火金の相克を持て余している方のご相談が続いたので書いておくことにしました。