金烏玉兎庵

大運の切り替わりにおいて感じていること

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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人生の節目ごとに、
「あー、これまでのことがあって今があるんだな」
と、感じることがありますが、
なんとなく最近そんなことをよく感じます。

これまでの人生で歩んできたことが、
一つの事象に収斂されていく。
それまでの人生で経験してきたことが、
一つのフィールドに集まって居場所を得て機能していく。

仕事に関する出会いや経験のみならず、
プライベートでの出会いや経験、
家族との関係や出来事、
あらゆることがひとつのことに収斂されていくような感覚をこのところよく感じています。

前にこの感覚を得たのは、
10年前くらいのこと。
その前は20年くらい前でした。

そしてそのどちらの場合においても、
なんだかとても身体の重力、自分を引き留めている引力がとても弱くなったように感じられ、
つまりとても身軽に感じられ、
その目の前に広がる風景がある種の走馬灯のように感じられたので、
このまま死んでしまうのだろうか?
と思ったりしました。

別に体調が悪いとか危ない仕事をしているとかはなかったのですが、
それまでの人生における経験や出来事が目の前に広がっていくその感覚が「超現実」、現実を超えているような気がしてそんなことを考えた次第。

しかし今振り返れば、
砂場で山を作っていて🗻
その山がある程度大きくなったところで一旦ペシャンとつぶして広げ、
そしてそれを土台にしてさらに大きな山を作っていく🗻

そのペシャンとつぶして広げたものが、
その走馬灯のような「人生における経験や出来事が目の前に広がって見えたもの」なのだろうと思います。

つまり、ただ今現在私の前に広がっている、

「これまでの人生で歩んできたことが、
一つの事象に収斂されていく。
それまでの人生で経験してきたことが、
一つのフィールドに集まって居場所を得て機能していく。」

という状況というのは、多分何かのスタートなのだろうと考えている次第。

ちなみに、「10年」というワードで気づかれた方もおられると思いますが、
それはだいたい大運の節目に一致していることに気づきました。
多分これは、大運の切り替わりが体感として感じられているもの。

前回まではそれと気づかずにいたのでちょっとした動揺を感じつつ持て余し気味であったのですが、
今回は初めてそれと認識できているので、きちんと活用していこうと思います。

ちなみに、大運の切り替わり前後1.5年を接運とする場合、その時期を避けて何かを始めるなら準備の猶予はあと1ヶ月半。
幸い外に出ることもできず引きこもってあれこれできる時期でもあるので、
しっかりと準備しようと思います。

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