最近思うに、
嫉妬してしまうほどの人に出会えるというのは幸せなことだろうと思います。
嫉妬することで、相手に引き上げてもらえたりしますし。
若い頃の、何者でもなかった頃の自分は、確かに世の中に嫉妬の対象は山ほどいたように思いますが、
ある程度道が定まり、自分がコレと決めた道が明らかになってくると案外と嫉妬する対象に出会うこと自体が稀になってきたりもします。
コレと定めた道においては、
多くの場合、相手と自分の力量差というのは自ずと分かるもので(分からないとすれば、そもそもその道の理解が足りないということでもあるので)、
力量において相手が上であれば嫉妬の前に自己研鑽が先に立ちますし、
力量において相手が下であれば嫉妬の対象にはなりません。
算命学を学び始めた頃、
あまり早く算命学の奥義を知り、世の中を悟ってしまうと苦難や懊悩による成長の機会を逸し、
世の中の彩りを体験することができなくなるので、ゆっくりと学びなさい、ということをいわれました。
嫉妬についても同様のことが言えるだろうと思います。
相手を知り、自分が分かってくると、嫉妬というのがわくことは稀になります。
それは穏やかな世界ではありますが、
自分を強く動かす力とは無縁の世界。
悟りとも言えますが、どこか諦めのような静けさの世界で、ガチンコで何かに向かうとか、遮二無二がんばる!みたいな方向には向かいにくくあります。
そう考えると、
嫉妬してしまうような相手に出会うというのは何かを成そうとするにはとても有効で、
むしろ金の草鞋を履いてでも探すべき存在と言えるようにも思うのですがいかがでしょうか。