金烏玉兎庵

比和の関係の姿とは?例えば関索星

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

比和、というのは同質五行同士の関係です。
例えば、鳳閣星と調舒星は火性同士の比和の関係ですし、甲と乙というのは木性同士の比和の関係です。
あるいは、申と酉というのは金性同士の比和の関係になります。
もちろん、同質五行なので、当然に禄存星同士とか、丙同士、辰同士、みたいに、同じ星が並ぶ場合も比和の関係になります。

ずいぶん前に「比和というのはけっこう厄介」ということを書きました。
※こちら:https://www.kinugyokutoan.com/?p=541
ブログ内検索でも調べられますし、Googleで「算命学 比和」と検索すると旧ブログのその投稿がトップに上がるようですが、
よほど、「確かに」と思われた方が多かったのだと思います。

一般的に比和というと同じ要素を持つので仲良くなるとか書かれるわけですが、
実際のところはどうかといえば、
人間系において比和の関係にあれば互いに強く意識しあう、けん制しあうような現れ方をすることが多いように思いますし、
星図の中に同質五行(貫索星と石門星、鳳閣星と調舒星、禄存星と司禄星、車騎星と牽牛星、龍高星と玉堂星)というのは、その方位の関係性において、自分からすると力(りき)みとして現れ、他人から見ると生意気だという見え方をすることが多いです。

そもそもですが、自然の中に同じものが二つ(以上)ある、というのが不自然なことで、本来は自然界には同じものが二つ存在するとはありません。
よって、比和というのはそういう不自然さを持っている、というふうにもいえるように思います。

例えば、貫索星というのは全き比和の星です。
同じ干同士の関係から生まれる星、まったく同じ星がそこにある星、という意味で、ある種の不自然さを持ちます。

自然の世界、社会や世の中というのは誰かに助けられたり誰かを助けたり、あるいは誰かを攻撃したり攻撃されたりしながら成立しています。
万物は諸行無常、ということがいわれますが、これは、すべてが動いていることの帰結であり、その動きというのは何らかの力関係や傾斜の中に生じるもの。
しかし、貫索星というのは、そういう動きがない星です。

そういう前提を踏まえて貫索星という星を再度見つめなおしてみれば、
「誰かを助けることも助けられることもない」からこその自主独立、独立独歩、マイペース、という在り方になることも、なるほど、と思いますね。
あるいは、
「力関係も傾斜もないために動かない」からこそ、不動の姿をしている、ということも理解できます。
そして、
「自然の中に同じものが二つあるという不自然さ」というのはイコール「自然の中に埋没しない」ということなので、結果として自然に埋没することなく「自分を発揮していく」ということに向かうのだろうと思います。

よって、貫索星があるような人が、
まわりの空気を読んでおとなしくまわりにあわせたり、誰かがやってる何かに乗っかったりして非主導的に生きていると、それは本来の姿からかけ離れてしまい、あまり良いことにはならないように思います。

こうしたことの仕組みと対処については今朝サークルのほうに書いたのですが、
書きながら、これは仕組みはともかく現象については多くの人が知っておくほうが良いだろうと思い、こちらにも書いておくことにいたしました。

モバイルバージョンを終了