スティーブン・キングの作品に、
『ランゴリアーズ』という小説があります。
※ネタバレ注意!
それに描かれている世界が、算命学でいうところの「時間と空間が一致しない世界」というものを端的に示しているのではないかとハタと気付いたので書いておきます。
この物語は、
ロサンゼルスからマサチューセッツ州ボストンへ向かう夜間飛行の同じ飛行機に乗り合わせた人たちが過去の時間に取り残されるというホラー作品。(Wikiより。ドラマ化・映画かもされています。)
彼らが取り残された過去になっていく世界では、
自分達を取り巻く世界が彩りを失っていき、
まわりは音を失っていき、
食べ物は味を失っていき、
仕舞いには世界がボリボリと食い尽くされ破壊されていきます。
その描写が、
時代の寵児、一斉を風靡した人物、
いってみれば時間と空間がぴたりと一致した世界を生きていた人が、
徐々にその一致を失い、やがてはかけ離れていくにつれ、華やぎを失い、存在を忘れられていく姿にとても似ている気がしました。
算命学では空間と時間の一致するところが人間の生きる場所であるといわれます。
誤解を恐れず端折って書けば、
空間とは人間が生きる時代や環境であり、
時間とは人間が生きるその行動や在り方
…なわけですが、
その環境と人間の生き方・在り方が一致しなくなっていくと、この『ランゴリアーズ』にある過去になりゆく世界のように彩りを失い、音を無くし、味わいを損ない、そしてやがては跡形も無くなってしまうのではないかと思うのですがいかがでしょうか。
算命学では、
人間がその生、その命の全き姿を燃焼しようとするならば、適切な時代を待ち、適切な環境を選び、適切なタイミングをはかることが不可欠であるといわれます。
これはつまり、
人間がもし行動を起こして何かを為し、
世界にインパクトを与えるようなことをしようと志すならば、
適切な時代、適切な環境においてそれをすることが必要であるということなのですが、
もし適切な時代、適切な環境にあうことができなければ、『ランゴリアーズ』の過去になりゆく世界のように損なわれていくのではないかと思います。
実際、政治家のあれこれや組織などを眺めてみても、
環境と行動、タイミングと行動が一致しないと空回りし、衝突したり失敗したりして、やがては存在を淘汰され、あるいは忘れられていっています。
古代中国の賢人は、
自分が生かされない時代においては野にあって身を潜め、
自分が仕えるに足らない皇帝には決して仕えず、時に自死を選んでまでもそれを貫いたといわれます。
これは、
自分が生かされない時代に活躍を目指すことは即ちその身の死につながり、
仕えるに足らない皇帝に仕えることは即ち魂
の死を意味するからです。
まぁ、今の時代さすがに野に身を潜めたり自死を選ぶというのは現実的ではないのですが、
日本でも、戦前くらいまでは時代に合わない人は処士として官に仕えず人に仕えず過ごしていたことを考えると、
私達の時代においても「合わない上司」や「合わない方針の時期」、あるいは「さほど評価されない時代」というのは、無理やり頑張ったりしない」ことを選択肢として持っておいても良いのだろうと思います。
さもないと、ランゴリアーズにやられます。
まとめると、
何かをするなら時代と環境とタイミングを選ぶことが大切で、
もしどれかが欠けるなら、ひとまず身を引いて待つことも大事なんだろうというお話です。
来年の課題設定をしながら、そんなことを考えた次第。
適切な時代と環境、タイミングをきちんとはかるためにも、しっかり学んで精進しようと思います。
※写真はランゴリアーズ。口だけのお化けで、世界をボリボリ食べます。写真の引用もとブログはこちら:http://kowaimovie.blog116.fc2.com/blog-entry-293.html