金烏玉兎庵

新型コロナ騒動下にあって思うこと【前半】

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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新型コロナ騒動下にあって、時代の変化について感じていることが二つあり、それを書いておきます。
今日はその一つです。

この騒動下にあってハタと気づいたのですが、
困っている人とあまり困っていない人が割とくっきり分かれていますね。

なんとなくニュースを見ていると国民の大半が困っているかのような気分になるのですが、
身近なところを見回していると、
「ちょうどコロナの直前に通販対応を始めたところでした」とか、
「ちょうどコロナの直前にオンライン講義を始めたところでした」とか、
そういう人もけっこういて、彼らはこの騒動の最中にあってむしろ勢いをもって事業を拡大されていたりします。

一方で、
コロナ直前に、大幅に在庫を増やしたばかりだったのに、とか、
コロナ直前に、実入りをよくするために独立したばかりだったのに、とか、
そういう人もけっこういて、元居た会社を「辞めなきゃよかった」というお話もあります。

何が彼らを分けたのか?
ということを考えていたのですが、
「既存の仕組み、既存の価値観」に囚われている人ほど後者のパターンに陥り、
「新しい価値観、新しい世界」への展望を持っている人ほどうまくいっているなあ、
…という感想を、私はもっているのですがいかがでしょうか。

ちなみに、この時期にうまくいってる人なんている?
と、思う人も多そうですが、
よくよく考えれば、リーマンショックのときもバブル崩壊の時も、さらには戦争のときにおいても、実はそれをチャンスとしてうまく活用され、会社を大きくしたりお金持ちになった人たちというのはけっこういます。

平和期というのは、貧しい人が減り、中流に属する人が増える時代です。
よって、なんにせよ多くの人が全体的に豊かさを享受できるようになるので、マスコミを含めてみんなが明るさを謳歌し、それを感じることができます。
一方、動乱期というのは、貧しい人と富める人、困窮する人と裕福になる人が二極化します。
大多数の苦しみに打ち沈んでいく人たちと、一部のチャンスをつかんで昇っていく人に分かれます。

豊かになるのは「一部の人」なので、当然マスコミはそこには触れないか、あるいはそこを叩いて暗い空気を醸成します。

今のこの状況は、動乱期といえるのだろうということを先日書きましたが、
その動乱期にあってくっきりと明暗が分かれているぁと感じつつ、動乱期の二極化とはこういうことか、と感じ入っているこの頃ですがどうでしょうか。

なお、何度か書いているとおり、ユニクロというのは、その二極化の時代に成長した会社ですけれど、
一般的に「動乱期に昇っていく人」というのは、その昇っていくプロセスにおいてはあまり目立ちません。
見えないところで急成長、人知れず稼ぐ、静かに拡大する、というのが動乱期に発展する会社、飛躍する人の特徴です。
よって、ふつうに生活している人からは見えにくく、一般の人は気づきにくいだろうと思います。

実際、ユニクロがメジャーになったのは相当の規模までシェアを拡大した後のことで、そこからさらに飛躍はしましたが、もともとは「目立たず静かに」その発展の道を歩んでいましたし、
さらに時代をさかのぼれば、明治期に成立した財閥は明治維新の動乱の中で目立たないうちに力を得ました。
大正期に成立した財閥は日露戦争・第一次世界大戦のどさくさに紛れて財を成しましたし、昭和初期に成立した新興財閥、いわゆる「コンツェルン」は領土拡大とともに動乱の地であった満州や朝鮮半島に足場を築いてその勢力を拡大しました。
さらに近いところでいえば、現在のロシアの富豪の多くは、ソ連解体の混乱に乗じて財を成したひとたちです。

今となっては盤石の基盤をもつ、押しも押されぬ大企業、大富豪である彼らですが、
おそらくその動乱の最中に彼らが台頭してきているその様子に気づいた大衆は少なかったのではないかと思います。
一部の知識階級、上位層は別にして。

このところ、
この騒動が終わったら、目の前にはこれまでとは全然違う世界が広がったいるのだろう、
ということをよく考えるのですが、
今挙げた財閥の台頭と同じように、
只今現在のような、あらゆるものがあいまいになり、揺らいでいるそのタイミングにおいて、
先手を打って自分に有利な「枠組みをつくり」、自分に有利な「商売をつくり」、自分に有利な「決まり事をつくる」ひとたちが、以後の世界の旗手となるのだろうと考えています。

いってみれば、
新しいことのルールが出来るのを待たずに何かを始めている人が先頭に立って人々を導いていく、
新しい世界のビジョンを描き、その世界で必要なものを作っていける人が世界の覇者になる、
…とでもいうか。

それは、
新型コロナウイルス蔓延による巣ごもり消費の拡大に対応できるとか、
新型コロナウイルス蔓延によるご巣ごもりにおいてきちんと効果のある何かをするとか、
…そういうのよりもさらに一歩先を行っている人のことです。

もちろん、平時であれば、後者のような「事態対応型」でも十分なのだと思うのですが、
多分、今のこの状況は、それでは良くて現状維持、悪くすると驚くほど沈んでしまうことになるような気がします。

つまりこれはある種の「ガラガラポン」を起こすのだろうということ。

新型コロナというのは疫病にあたるのだそうですが、
いわゆる疫病というのを歴史で振り返ってみれば、それによる人口減がそれまでの社会構造の変化を引き起こしてきました。
これを言い換えれば、「疫病が社会構造の進化を促してきた」ともいえ、
その意味で、そういう事態には、目先や小手先の変化への対応ではなく、もっとドラスチックな変化をとらえ、それを操り、自分に都合よく変化を実現していく、
そういう大胆で柔軟な思考が求められているのだろうと思います。

ちなみに、「自分に都合よく」という言葉に抵抗感をおぼえる方も多いと思うのですが、
動乱期において大事なのはその、徹底的に「自分に都合よく」という視点ではないかと私は思っています。

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