金烏玉兎庵

本当の幸せや評価を実感するために必要な「気」の話

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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お金がいくらあっても幸せではない人とか、
どれだけ高い地位にあってもまわりから敬意を払われない人というのがいます。

私たちは西洋文化的な価値観のなかで、
お金をたくさん稼いで高価なものを手に入れて幸せになることを目指したり、
偏差値の高い学校に行って立派な仕事に就き、まわりから敬意を払われることを目指したりするのですが、
実は、その「お金がある」ということと幸せは必ずしもつながらないし、「立派な仕事」が必ずしもまわりに敬意を払われることにつながるわけではありません。

いってみれば、
「お金がある」とか「立派な仕事」というのは器であって、「幸せ」とか「敬意を払われる」というのは中身なので、
その器をいくらつくっても必ずしも中身が伴うとは限らない、ということです。

もちろん、映画『フィールド・オブ・ドリームス』の囁きのように「それを造れば彼が来る」ということがないわけではありません。
しかし、実際にお金持ちになった人や地位を得てみた人は、必ずしもそれが一致しないことをご存じではないかと思います。
このあたりは、「結婚したら幸せになれる」というその「結婚」というのが、必ずしも「幸せ」につながるものではないことを考えればより想像しやすいかもしれません。

さて、ではその「中身」である「幸せ」やら「敬意を払われる」やらというのを手にするにはどうすればいいか、ということなのですが、
算命学ではそこに「気」が必要であると説いています。
言い換えれば、
「気」が伴わないと実感がわかない、
「気」が伴わないと実をもってまわりがそれと認めない、
ということです。

例えば、
天中殺にはじめたことは長く続かない、
天中殺に作ったものは早晩無に帰す、
ということの意味は、天中殺の期間というのは、天の「気」を受けられ受けられないため、形をつくってもそこに「気」が入らない、
そのため、現実の世界において実態を伴って在ることができない、ということをいっています。

よって、
天中殺のときにいくら出世しても、それは「気」を伴わない形ばかりのものなので、まわりからそれと認めてもらいづらいですし、
天中殺のときにいくら良い転職をしたとしても、そこには「気」が伴っていないので、きちんとそこに足場を築いてその会社で活躍したり人間関係を築いたりするのが難しくなります。

なんとなく現代に生きていると、「気」などという無形のものを軽視しがちなのですが、算命学においては、一にも二にも「気」が大事。
この「気」をどれだけ受け止められるか、というのが人生を左右するといっても過言ではないかもしれません。

なお、「気」に影響を与えるのは天中殺ばかりではありません。
位相法や干合、陽占の星やその流れなど様々なところに「気」は絡んでいて、とてもシンプルに「こう!」とは言えないのですが、
それでもこの「気」というのは、自分のエネルギーの投じるべきところや活躍すべきところを示してくれるものなので、きちんと意識しておくことはとても大事だろうと思います。

ちなみに、その「気」がしっかり入ってくるのを応援してくれるのが守護神であり、その「気」を入りづらくするのが忌神です。

本日より、noteのサークルでは守護神の説明を始めました。
興味のある方はご覧くださいませ。

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