アフターコロナに向けて、人生の再設計作業を始めました。
隔日出社のシフト勤務にも慣れてきて、混乱した生活の中で動かなくなっていたギアを入れ直し、大きくチェンジさせる準備を始めた本日。
コロナの影響についていえば、まだまだ予断を許さない状況であるのはもちろんのことではありますが、
3月20日にnoteでの新型コロナウイルスと日経平均の検証に関する投稿において、
「3月中が底で、4月になってその底打ちに確信が持て、力強い上昇相場を形成するのは難しいかもしれないが、明るい兆しが見えてくるだろう」
…と書いたとおり、おそらくは今後くっきりと明るさが見えてくるだろうと私は考えているので、生活においては慎重さを継続しつつ、自分にとっての「アフターコロナの展望」の構築を始めた次第。
ちなみに、今後さらに大きなぶり返しがなければ、3月23日の16,019円が日経平均における底であっただろうと考えています。
「気が早い」と思われる向きもあろうかと思いますが、
個人の体感、政府の見解、マスコミの報道、各種職業に就かれている方々のとらえ方というのは千差万別。
学校や企業活動その他、停滞感が蔓延している中ではありますが、全体観という意味では明い兆しが見えつつあるといえるのではないでしょうか。
さて、コロナ禍中にあって、私が一番考えたことは、
「先延ばしにしなければよかった」
ということでした。
春の京都を堪能することとか、
心が拡がる芸術の中に身を置くこととか、
台湾の五行の世界を体験しに行くこととか、
とある高級隠れ家レストランのシェフに会いに行くこととか、
時間もお金もあったのに、なんとなく先延ばしにしているうちに、
どれもこれも、「時間とお金があってもダメ」なものになってしまって、
心から残念に思いました。
そして、
もう先延ばしにするのはやめよう、
と、固く決意しました。
もちろん、それらを先延ばしにしていたのは、優先順位をつけた結果のことではあったのですが、
そういう先延ばしにしてきたあれこれが、強制的に取り上げられていく状況の中で、優先順位が大きく変わり、
「先延ばしにしない」「自分の気持ちや欲求を大切にする」ということを徹底しようと思い、「人生の再設計」をし始めたのでした。
命の危機にさらされると、優先順位が変わりますね。
さて、先日、「有願」についてコメントで触れてくださった方がおられたので、ここで書いておきます。
「有願」とは、自分本来の希望や願いではなく、「満たされなかったことの反動」として現れる願望のことですが、
「満たされなかった」という自覚があるかは別にして、
若い頃は目に見える成功に惹かれるものなので、若い頃の願望というのは8割がた「有願」なのではないかと思います。
例えばお金持ちになるとか有名になるとか、まわりの人に素敵だといわれるとか、そういう願望というのは、
どれもこれも、
「自分にお金がないからそういう願望を抱く」
「自分が無名だからそういう願望を抱く」
「自分が素敵ではないからそういう願望を抱く」
…という意味で、「有願」なんだろうということです。
大人になって、
実際に、お金持ちになってみたら、お金持ちってそんなに良いものでもなかったな、と分かったり、
実際に、有名になったら、有名って煩わしいだけだな、と思ったり、
実際に、素敵になったら、こういう「素敵」になりたかったわけじゃないな、と感じたり、
…することも多いもので、
そう気づいてからが、人生の本当のスタートだということです。
人生にはスタートが二度あるといいます。
一度目は、命がこの世に誕生したとき、二度目は自分の命の意味、つまり使命に気づいたときです。
よって、「有願」は一度目の人生の願い、そして二度目の人生の願いが使命であるということもできます。
※「有願」というのは、不足や不満、コンプレックスに起因する願望ということなので、必ずしも物質的な願望とは限りません。
逆に、「本当の願望」というのが、例えば「ホテル王になる」みたいなこともあります。
「有願」というのはさっさと叶えて体験し、クリアしてしまって、本当のスタートラインに立つことが望まれるわけですが、
コロナ渦中にあってはその「有願」のクリアもできなくなったりもしますね。
例えば「海外に留学したい!」みたいな有願であれば、しばらくは足止めをくらうことになります。
けれど、世の中意味なく起こることなど多分なく、
その足止めにも意味があり、何かできること、やるべきことがあるのではないかという視点でまわりを見まわしてみると良いのではないかと思います。
私は、非常態勢になって約一カ月を経てようやくその意味に気づきつつあります。