一年に春夏秋冬があるように、
古代東洋思想においては人間の一生にも四季があると考えられていました。
その四季には季節に応じた色もありました。
よく使われるのが「青春」で、
「この世の春」を謳歌する年頃であり、
「青臭い」といわれたりする年頃というのは年若い時分のことです。
四季といえば季節のことですが、
それに付随する色のことも「しき」と読めることを考えると、古代の人たちは季節と色を同じように考えていたのかもしれません。
人間の四季(色)は以下のとおり。
青春→若い頃(生まれてから20歳代くらい)
朱夏→活躍期(30代から50代くらい)
白秋→洗練期(60代から70代半ばくらい)
幻冬→達観期(70代半ば以降)
※諸説あります。
これらの四季にはそれぞれに応じた過ごし方があり、それを色に見つけることができます。
青春であれば木性的な過ごし方。
貫索星、石門星に象徴されるような何かを守り、人とのつながりを大切にする過ごし方。
朱夏であれば火性的な過ごし方。
鳳閣星、調舒星に象徴されるような何かを伝え、目下や子供とのつながりを大切にする過ごし方。
白秋であれば金性的な過ごし方。
車騎星、牽牛星に象徴されるような誇りを堅持し大義のために身を投じる過ごし方。
幻冬であれば水性的な過ごし方。
龍高星、玉堂星に象徴されるような学びの世界で神の世界(宗教、哲学など)に推参しつつ、教えを残していく過ごし方。
実際には車騎星や龍高星は活動的な星なので、晩年に差し掛かって以降においては消化しにくいともいわれますが、
心の在り方としてそのような在り方と捉えると良いのではないかと思います。
人にはそれぞれ大運があり、
宿命を稼働させるためには10年ごと(五行でいえば20年ごと)にめぐる星に沿って生きるのが望ましいのですが、
それとは別の軸で、万人共通の上記の「人間の四季に応じた過ごし方」というのも意識しておくと、意義ある人生にすることができます。
青春・朱夏の時期が拡散期、
白秋・幻冬の時期が収斂期。
青春・朱夏が世界を広げ、様々に経験を重ねる時代であり、
白秋・幻冬は世界を取捨選択し、それまでに培ってきた知見を世の中に生かしていく時代です。
これに縛られる必要はないですが、知っておくことで一つの生きる指針・選択の基準を得られます。
なお、土性は上記にはありませんが、
それぞれの季節をしっかりと生きれば折々に人が寄ってくるもので、それが土性の引力の季節です。
そして、それぞれの季節の変わり目に、土性の季節に出会う人というのは雑多な人たちであり、
不案内な世界の人であったりもするのですが、
そういう人たちが次の季節の道先案内人であったりもします。