台風19号、たいへんでしたね。
被災された方々には心よりお見舞いを申し上げるとともに、復興にご尽力をされている方々には安全と健康にご留意され、ご活躍されることをお祈り申し上げます。
私は、今回の台風では避難勧告エリア外にいたので被害の様子をテレビで見ていたのですが、それが昨年の西日本豪雨の際の様子の再現のようであったことに驚きました。
昨年の西日本豪雨では岡山の生家が二階まで浸水し、
今年は川崎の自宅(不在にしていました)の近所で水深1m超の大規模の冠水があったので、
より強くそうした印象を持ったのかもしれません。
なお、岡山の生家のほうは当時人に貸しており、私は首都圏にいたので直接の被害はありませんでしたし、
川崎の自宅マンションも付近は冠水被害はなかったのですが、
生家は持分を持った不動産が毀損したので資産面での被害はあり、
川崎の自宅も、街全体としては「冠水する街」のイメージがついたことで資産価値の目減りは避けられないだろうと思います。
大変ですね、
というお言葉も何人かの方から頂いたのですが、
実は今年は私にとって西方納音の年(昨年は西方準納音の年)なので、
こういうこともあるかな?
と、思っていました。
(土剋水の干支との納音なので、台風で泥水の被害を受けるのも、なんとなくイメージした通りでした。)
西方の納音はこんなふうに資産が打撃を受けることもあります。
配偶者がいればそちらに出ることもありますが、そうでなければ資産を直撃するのは必定ともいえ、まぁ致し方ない、という感じです。
納音というのは、60干支を円に並べた対角線同士の干支の関係で、
破壊とか因縁解脱、方向転換のような現象が起こるといわれ、何となく怖がられることの多い強い分離条件の一つです。
なので過剰に怖がる人がけっこうおられるのですが、
実際に今回体験している感じとしては、
破壊は破壊としてあるけれど、精神的にはダメージがダメージとして終わることはなく、感覚としては割と爽快な気分に向かえるのではないかな?
と思いましたがどうでしょう。
一言でいえば、
『後ろ髪を引かれることのない過去からの脱却のタイミング』。
西方納音というのは、
「甚大な被害を被っても、
それがあまりに強く明確な破壊で手の施しようがなく、
振り返る余地を残さないので、
ある意味ではすっきりパキッと過去を捨て、未練なく方向転換することができるもの。」
…いわれたりするのですが、
60年に一度しか巡らないので、たいていは生涯に一度しか巡らず、これについて語れる人は多くはありません。
その西方納音を私は今回体験したわけですが、
経験してみて「なるほど!」と腹落ちしました。
岡山の生家は二階まで冠水したので解体したのですが、
家というのは一度冠水すると建築的観点からも感染症的観点からも取り壊しを推奨されます。
建物としては建っているのでまだ使えそうに感じられるのですが、
そこにしがみついて建物をせっせと洗浄してキレイにしても、乾けば染み込んだ泥は浮き上がり、後々まで細菌リスクは残ります。
よって、結局は取り壊して建て直すか売り払って他に転居するしかなくなります。
それと似ているな、と思います。
ガッツリ壊れて、前に進むしかない感じ。
むしろ、方向転換して前に進むことを後押しされている感じ。
それがとても納音的です。
確かに、
ダメージはダメージとして大きいのですが、
それに未練を感じることはあまりない感じ。
区切りというかきっかけというか。
台風の甚大な被害の後に、
青空が広がり、そこに差す陽の光に希望を感じるのと同じような感じ、
といえば伝わるでしょうか。
ちなみに、
宿命において東側に半会とか支合などがある人は、それまでに積み上がってきているものがたくさんあるので衝撃はより大きなものになります。
よって、もしかすると多少の未練はあるかもしれませんが、
宿命においても西方に対冲があったりすると、「まぁこんなこともあるかな。」程度で、すっきりパッキリ壊れたものを後にして前に進めるのではないかな、と思います。