「仕事は一人でできるものではない」
…というのは、よく言われることですけれど、
取り分け、宿命に散法があるような人は、このことを肝に銘じておいたほうが良いだろうと思います。
例えば、
東方に害などがあれば、何にせよスタートにおいて躓くとか、入り口において思い通りにいかないということが多発しますし、
西方に対冲などあれば、何にせよ「完成」させることが著しく困難、ということが起こるもの。
よって、そういう要素を宿命に持つ人というのは、
予め、「一人で完結するのはちょっと難しい」という前提に立って、
その欠けたり壊れたりした部分を補完する機能を手当てしておくことが望まれるように思います。
先日、最近は仕事生活が平和です、ということを書いたのですが、
これは、そういう「自分では無理」なことについて自分でやることに固執するのをやめ、
他人の手を借りる、その仕組みを作ったことが大きく寄与しています。
具体的には、
私は東方半会・西方対冲という条件を持つので、
入り口における発案・企画・推進というのは得意なのですが、
詰める、精査する、完成させる、ということが苦手。
…よって、発案したらさっさと企画書にして、速やかにこの「詰める、精査する、完成させる」ということが得意な人たちに相談し、彼らを通すことで完成させていく、という流れを会社の中で作りました。
元々私は「自分が全部やりたい」という思いを割と強く持つタイプだったのですが、
自分の西方対冲を自覚して以来、そこに拘ったり固執したりするのをやめたら、
途端に仕事がスムーズにまわるようになりました。
もちろん、この「詰める、精査する、完成させる」というのが出来ない、というのは、率直に言って管理職としては致命的。
けれど、その「詰める、精査する、完成させる」という部分を「役割」「仕組み」にしてしまえば、組織全体として潜ることなく業務が遂行されていくわけで、
問題なく円満に、迷惑をかけることもなく仕事をすることができます。
当然、気づく人は気づきます。
「あいつは詰めがダメだ」と言われることもあります。
けれど、出来ないことを無理やり頑張って失敗するよりは、
出来ないことを切り出して仕組みとし、円滑に仕事が進んでいる方がマシですし、
そうやって、「人の力を借りる」「謙虚に人の助けを乞う」というのは、
組織における円滑油のような機能を果たすこともあります。
私たちの世代、
とりわけ「私たちの世代の女性」というのはたぶん、
「できません」ということを敗北であるかのように考えている人が多いのですが、
「自分にはできない」ことがあることを認め、
それを「できる人に任せる」とか、
あるいは、「それはやらない」と決めるとか、
…そういうことができるようになると、
仕事が一段高いレベルで遂行できるようになりますし、人生がとても楽になるように思います。
これがいわゆる「肩の力を抜く」ということなのかもしれませんね。
もちろん、全部「自分でできる」人はやればいいのです。
でも、冒頭に挙げたような、宿命に散法があるような人は、なかなかそうもいかないもの。
これは、自分の自覚できる範囲の人生、
十代の頃から今に至るまでの人生を振り返ってみれば、だいたい自分で分かるだろうと思います。
その記憶において「一人で出来なかった」という記憶のほうが多いなら、
素直に「出来ない」ことを認め、自分ですべてをやろうとするのではなく、
他人の手を借りる、
その仕組みをつくる、
…ということに取り組んだ方が良いだろうと思います。
出来ないことは出来ません。
やれることにフォーカスする、得意なことにリソースを割くほうが生産的です。
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