これは感覚なんですが、定期的に「何もしない」時間というのをもつというのはとても大事なのだろうと思っています。
「何もしない」
というのは、西洋文化的な世界観においては、いかにも不合理で無意味な時間のように扱われるわけですが、
実際に、「何もしない」時間というのを持ったことがある人であればお分かりのとおり、
これは驚くほどパワフルな引力を得ることのできる時間でもあります。
あるいは、
「何もしゃべらない」
というのでも良いかもしれません。
何もしゃべらずにいる、ということにしても、西洋文化的な世界観においては、いかにも退屈で、無益なものであるようにいわれるのですが、
実際に、「何もしゃべらない」ということをしたことがある人であればお分かりのとおり、
これもまた、びっくりするほどの引力を備えることができる在り方であります。
引力、というのは土性の効果ですけれど、
土性というのはその前段階に火性があります。
火性というのは伝達本能といわれますが、その本質としては洩気で、
洩気ということは、最大に「吐き出していく」ことなわけです。
自分の中に在るものを、最大に吐き出していくから「伝わる」、だから伝達本能、ということなんですが、
そういう最大に「吐き出していく」ということを仕切ったら、そこには何も残らなくなりますね。
全部吐き出せば、何も残らない。
全部吐き出したら、やることはない。
全部吐き出したら、もう言うこともない。
そういう、
いろいろやり切った後の「何もしない」とか「何もしゃべらない」というのは、火性の極みであり、その先において、
くっきりとした土性、大きな引力を呼び込むものなのであろうというお話です。
いってみれば、
洩気の先にある一点の「空」に引力がはらむとでもいうか。
その意味では、
「何もしない」
「何もしゃべらない」
と、書きましたけれど、それは、相当の密度のある「何もしない」「何もしゃべらない」であるといえるかもしれません。
「空」って、実はものすごく密度のある概念です。
そして「空」は反転をもたらします。
そう考えると、
五行というのは木火土金水、という流れですが、
前半の自分を打ちだしていくという流れを反転させるのが土性であり、これが「空」であって、
後半の他者のために生きる、他者に生かされていくという流れに向かうその陰と陽をつなぐ土性が「空」なのだなぁ、と思ったのですがどうでしょう。
つまり、
木性の貫索星・石門星というのは比和で、自分をくっきりと表明します。
火性の鳳閣星・調舒星というのは洩気で、自分を吐き出します。
そして、その吐き出しきった、洩らし切った先において、「空」があって、
その「空」こそが、土性(禄存星・司禄星)の本質的な姿であり、そこで反転して、
金性の車騎星・牽牛星において「自分」ではない何かのために邁進し(「自分」は突き動かされ)、
水性の龍高星・玉堂星において「自分」がまわりから「生じられる」流れに向かっていく。
そして、その水性は、「生じられ、生かされた自己」を表明していく木性につながっていくのだろう、というか。
もちろん、土性、例えば禄存星なり司禄星なりというのは「何もしない」わけではありませんが、
その禄存星的、司禄星的なものの根底には、「空」があるのではないか?
と考えた次第。
ちょっととりとめのない内容になりましたが、そんなことを考えたので記録として書いておきます。
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