中殺や異常干支がある人というのは、
「ふつう」とか「平均」というスケールを超えて生きていくべき人ですが、
これについて、いったいどんな軸をもってその大きなスケールを生きるべきなのか?といえば、
それは、
自分が欲求を感じること、
自分の心が強く惹かれること、
…そういう分野を軸にして、大きなスケールを生きましょう、ということになります。
けれど案外と、ふつうに生きていると、自分の欲求とか、自分の心が強く惹かれることとかいうものに、人間は鈍感なものでもあります。
とりわけ、
世の中のルールに忠実で、お金のために自分の夢を歪めたり、せっせとテレビを観たり新聞を読んだりしているようなタイプの人というのは、
その欲求や強く惹かれることというものが案外と、「自分の欲求」や「自分が強く惹かれるモノ」ではないことが往々のしてお在ります。
本人は「自分のモノ」と思い、他人にも「これこそが自分のやりたいことだ!」と主張したりしているするのですけれど、
実際のところは、「世間一般の人たちが欲求を感じるであろうこと」「世間の人が強く惹かれるであろうこと」であったりしますね。
現代社会に生きていると、
他人の目、というのがとても近くに、それもたくさんあるものですし、
一方で、他人の欲求や他人が惹かれているものというのがどんなものかも詳らかに知ることができます。
また、テレビや新聞というのは、そういう「他人から影響されること」を助長する機能をもっているので、
テレビや新聞に時間を費やしている人ほど他人からの影響を受けやすく、自分の欲求や自分の本心を見失うものでもあります。
そうでなくても、空気を読める人、まわりへの配慮をきちんとする人なども、
他人の目や他人の思いに囲まれていると、多くの場合、そういうものに影響され、自分の欲求や思いが分からなくなる傾向にあります。
テレビはともかく、新聞を読むことや空気を読むことって悪いことじゃないんじゃないの?
というのもごもっともではあるので、
確かに他人目線・社会目線では悪いことではなく、むしろ「都合の良い」ことなのですけれど、
自分目線・自分の人生を生きるという目線で見れば、必ずしも「良いこと」とはいえませんよ、というお話です。
自分の欲求や自分の心が惹かれること、というのは、
それを本当にやってみなければ分からないものです。
あるいは、その場所に行って、実際に目で見て、手で触って、感じてみなければ分かりません。
これは、何か自分の天職ともいえる仕事に就いている人であれば分かると思うのですが、
本質的に欲し求めるもの、本質的に自分の心が惹かれるものというのは、
出会ったときに電流が走るようなインパクトがあります。
寝ても覚めてもそれに惹かれる、
心がそれを追い求める、
それが「自分の欲求」であり「自分の心が惹かれること」。
それが、自分が取り組むべきことであり、自分が進むべき道である、といえます。
人間は、本来誰しもがその「自分の欲求」や「自分の心が惹かれること」に取り組むのが健やかなのですが、
とりわけ、中殺や異常干支がある人というのは、そういうことに大きなスケールで、ガッツリ取り組む必要があるように思います。
もちろん、そこには相応の試練やハードルはあるわけで、
それを超えていくには相応の心身にわたる鍛錬を積む必要があるわけですが、
中殺や異常干支のあるような人は、そういう大きなスケールで生きることを目指したほうが健やかではないかと思いますがどうでしょう。
…とはいえ、今のような情勢下においては、
「その場所に行って、実際に目で見て、手で触って、感じてみる」というのはちょっと難しい感じもありますね。
けれど、例えば古代中国、あるいは江戸時代くらいまでの日本を想像してみれば、
そもそも「その場所に行って、実際に目で見て、手で触って、感じてみる」ことなんて今以上に難しかったわけです。
その意味では、やりようはいろいろあるはず。
念ずれば通ず、とか、求めれば与えられる、という言葉がありますが、
まずはその「自分の欲求」、「自分の心が惹かれること」に出会うことへの思いを抱くことからスタートすれば良いのではないかな、と思います。
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