「水の星」というと、多くの人が良い印象を持つようです。
「水性の星」「知性の星」「知恵の星」
と書くと、多くの人がそれを素敵なものだと思うよう。
水の星、から、地球🌏をイメージするからでしょうか?
まぁ実際、現代社会においては「頭が良い」というのは美徳の中でも価値が高いものの一つと考えられているので、
当たり前なのかもしれません。
「知性の星がないので」
と書くと、けっこうイヤな顔をされたりします。
が、
実際のところ「水の星」の水というのは、
水の星🔵ではなく水の星⚫️です。
水は美しいブルーではなく、
暗澹たる黒色。
「腹黒い」とは、腹に一物(知恵)をもつことですし、
「玄人(クロうと)」とは、その道の知恵に通じた人をいいます。
一般大衆(火性)から恐れられることはあっても彼らと打ち解けることはありませんし、
下手に大衆やお金(土性)世界に降りると知恵が濁ります。
多すぎても濁るもので、
大義(金性)を前提に、適切で健やかな世界の幸福(木性)を目指すのでなければ生きません。
水がありすぎると、
頭が良すぎて色々と考えてしまい、
先の先まで見通せてしまうので、
言葉にする前に計算してしまったりして、
その結果、秘密主義とか何を考えているか分からない人、という印象を与えることもあります。
本人に悪意はないのに、
敬遠されたり輪に入れなかったりすることもあります。
木性の人たちが和気藹々としていたり、
火性の人たち賑やかにしていたり、
(調舒星は気難しいですがおしゃべりです)、
土性の人たちが結束ある人間関係を築いたりしているのを眺めつつ、
さみしいと感じることも、あるかもしれません。
龍高星はクリエイティブな面もありますが、そのクリエイティビティは馴れ親しんだ場所を超越する激しさの先にありますし、
玉堂星の静かで常識的な知性には冷酷さや狡さも伴います。
「常識」って、計算無くしてそれに沿うことができないものですし。
知性の代償というのはそのあたりにあります。
なので、そんなに羨ましいことばかりでもありません。
どんな星にも良い面と悪い面があります。
ちなみに、
水性が強い人は知を象徴することを目指すのが役割なので、
たとえ上記のようなネガティブな要素があったとしても、それをゆがめて妥協するべきではないだろうと思います。
龍高星であれば、小さな世界で妥協するのではなく大きな世界に知を求めるのが役割ですし、
玉堂星であれば、世界で顕現されるべき正統な知に取り組み、その粋を求めるのが役割なので、
それに自信を持って取り組んでいくのがいいのだろうと思います。