先日「不遇の20年」ということを書いたことについて、
「そんなに頑張って、その結果、不遇の時期が20年も続いくのだとしたら、人生に希望を持てません」
というご指摘をいただきました。
これについて、ちょっと誤解を生む内容だったな、と思ったので、ちょっと書いておこうと思います。
そもそもですが、
生月中殺があるとか、西方が壊れるとかいう人は、結果に満足する、ということはあまりありません。
さらにいえば、白虎型の人などは「結果に満足する」ということをしてしまうと稼働力が落ちる面もあり、
その意味では、世の中には、「不遇である」と考えることがある種の動力源になるタイプの人もいるので、その「不遇である」と考えることが必ずしも悪いことではないだろうと思います。
例えば、10代の頃に目指した目標を20代になって実現し、
さらに20代の前半で目指した目標を20代の後半で実現し、
さらに20代の後半で目指した目標を30代の前半に実現したとしても、
そういうタイプの人が見ているもの、感じているものというのは、
目指して実現した結果ではなく、
常に「実現していない目標」「満たされていない状況」のほうなので、結果として、体感としては「不遇の20年」ということになります。
Facebookなどで、
出身大学を表示して、これまで生きてきた履歴・職歴を全部一覧にして公開しておられるようなタイプの方は、「実現した結果」「果たした夢」というものに満足できるタイプの人たちである気がします。
一方で私はといえば、職歴はもちろん、学校その他、自分が生きてきた履歴というのを一切表示せず、ただ「算命学を学んでいる」ということだけを表示しているのですが、
それはひとえに、その「目指すもの」のほうに自分の立脚点があって、これまでの人生・自分が生きてきた過去に立脚点を置くことができないことに寄ります。
このあたりは、
中殺がある人は足場が揺らぐその不安定な中でこそ生き生きと生きていける、
過去が壊れるタイプの人は過去が壊れるからこそ先に進むことができる、
というその在り方を実践しているのであって、
中殺もなく、結果も壊れず、穏やかに生きていけるタイプの人から見ると、
「なんてかわいそうな!」というように見えたとしても、
本人としては、むしろそのほうが水を得た魚のように生きていけるものでもあり、
例えば「不遇の20年」と表現したとしても、
それは別に、ネガティブなわけでも悲観的なわけでもないということです。
「永遠に埋まることのないブラックホールを抱えている人」は不幸なのか?
…といえば、普通の人、というか一般常識や社会全般の感じ方としては「不幸である」ということになると思うのですけれど、
そういう「永遠に埋まることのないブラックホール」があるからこそ、それが動力となって動くことができるという考え方もあり、
いってみれば、その「永遠に埋まることのないブラックホール」というのは「永遠に動き続ける動力源」でもあるわけで、
その覚悟をし、その動力源を使っていくという腹を決めた場合においては、
その「永遠に埋まることのないブラックホール」というのはむしろ恩恵となることもあります。
SF作品などでは「縮退炉(しゅくたいろ)」といって、退縮した物質を使ってエネルギーを発生させる装置がありますが、
これと似たものを宿命に持つようなものといえます。
今回、ドコモの子会社化のニュースで名前が挙がっておられるNTTの澤田純社長は宿命二中殺の方ですが、
この方も「結果」に満足することなく「不足」ばかりに目が行って、だからこそ今回のような大きな一手を打てたのだろうと思います。
恐らくは、ドコモの内側におられる方々からすれば、「不満ばかりに目を向けるな」という思いもあるのではないかと思いますが、
そんなふうに「不満しか目に入らない」からこそできることということもあるわけです。
不満というのを肯定することができたときに、大きな飛躍ができるという面もあります。
ということで、不遇・不満というのが、必ずしも「不幸」ではない、というお話でした。
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