テレビを日常的に観ている人は分からないと思うのですが、
お笑い番組とかバラエティ番組におけるやりとりというのは、ふつうの感覚でいえばそうとうへんてこなものです。
「ふつうの感覚」
というのも、これだけテレビが氾濫し、さらにはYouTubeなどでお笑いを観る人が山ほどいる中では、
そもそも何を「ふつう」というか分からなくなっている感じがありますが、
テレビを観ず、お笑い番組やバラエティ番組を観ない人からすると、
これらの番組というのは、騒々しいばかりでなく、破壊的であり、「あるべき人間の姿」からは大きく外れているように感じられます。
それもそのはず、そういうお笑いやバラエティ番組というのは「人為的に造られたもの」であり、さらにいえば「ある目的をもって恣意的に造られたもの」なので、
ふつうの、まっさらな感覚の人がみると、違和感やら反発やらを覚えるのは当然です。
観るならば、その意図は何か?その目的は何か?ということを探りながら観たほうが、変な影響を受けずに済むように思っています。
テレビに毒されると、
本質的に面白くないところでも「習慣的に」笑う、ということをするようになります。
画面の中の人が笑っているから笑うとか、一緒に観ている人が笑うとか、そういうのが繰り返されていくうちに、
自分が本質的に面白いと思うものは何なのか?
普遍的な意味で面白いものは何なのか?
ということが分からなくなっていきます。
とある地方限定で流行っている芸能人とか、
とある集団限定で幅を利かせている人というのはそういう人だろうと思います。
ちょっと離れたところから見れば、
なんであんな変な人が??とか、
なんであんな素っ頓狂な人が??とか、
思えたりする人でも、あの手この手で露出を増やしていると、洗脳されやすい人たち(=何も考えていない人たち)は、
ハーメルンの笛吹についていく子供のようにその変な人とか素っ頓狂な人を好ましく思い始めたりするもの。
…客観的にみていると、恐怖以外の何物でもないですが、まぁ世の中そういうことは往々にしてあるものです。
自分の本質的な感覚というのをきちんととらえ続けることは大切です。
会社にいれば会社に染まり、家族といればその価値観の中で過ごし、友人と過ごすときにはその友人のグループの人たちにある程度合わせることは大切ですけれど、
折に触れて、自分のニュートラルポイントというのを確かめる時間というのは不可欠だろうと思います。
そうでないと、人間に本来備わっている勘のようなものが、まるで使い物にならなくなります。
人生には、厳しい局面というのが定期的に起こるように出来ています。
けれど、そういう厳しい局面を、涼しい顔をしてやり過ごせる人もいれば、がっつりどはまりしてしまう人もいます。
その差は何かといえば、そういう本来の自分の感覚を活用できているかどうか、察知した危険に対応できているかどうかです。
感覚が鈍っていると、そもそも察知できないものですが、察知できたとしてもその察知した感覚を信用しなかったりしますね。
算命学では対冲とか天剋地冲とか、天中殺とかいろいろ苦しいといわれるポイントがありますが、
そこでどう処すべきかということは、鋭い感覚を維持していれば容易に分かるところであります。
一方で、いくら算命学を学び、事前にあれこれ認識出来ていて、さらにはそれなりに備えているつもりであったとしても、
感覚が鈍っていると、苦しいことになることもあります。
自分の感覚というのを研ぎ澄ませておくこと、
自分のニュートラルを認識しておくことというのは、とても大事だろうと思います。
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