一つの分野をこんこんと勉強していると、
知識と知識をつなぐストーリーというのが見えるようになる、聞こえるようになる、ということがあります。
書いてあること、学んだことからダイレクトに分かることではなく、
それをつなぐロジックだったり仕組みだったりというのが、
語り掛けられてくるような、導かれているような、
そんな感じで学びが進むということがあります。
それはまるで、高尾宗家だったり、野島先生だったりという、
既に他界された先生方が語り掛けてくれているような、教え導いてくださっているような、
そんな感覚があります。
私はだいたい一日のうち、最低でも1時間くらいはインプットをするのですが、
そのインプットの途中で、
なぜか気になること、というのがあって、
それが気になって調べてみたら、
あーそういう仕組みだったのか!と、合点がいく、といった感じ。
ちなみに、その「調べてみる」というその対象は、東洋思想に限らず、
物理とか化学とか、あるいは地理的なことであることもあるのですが、
そういう諸々をもって、十干や十二支の仕組みというのを厚みをもって理解できるようになった気がしています。
安岡先生が「禅と陽明学」の下巻において、古書を紐解きつつその著者と語らう、
ということについて、
一つのことをこんこんと勉強しているとそういうことを誰しもが経験できる、ということを書いておられますが、
なるほど、と思います。
勉強を一日最低1時間、ブログやらnoteやらのアウトプットがだいたい1時間、
ランニングがだいたい1時間~2時間…と、これだけでだいたい3時間~4時間ということになるのですが、
自分の中でこれ、という目標というか目指すものがくっきりすると、
そしてそのルーティンがその目指すものにつながるものであると、
そういうルーティンの繰り返しというのが、あたかも人生の城を築くための石を積んでいっているように感じられます。
これは、「お金を使う」ということの先に、効果なりリターンなりが見えていると、
お金を使うことが、そのまま蓄財になっていくように感じられるそれと似ている感じがします。
勉強が続かない、とか、運動が続かない、ということを繰り返していた時期を振り返るに、
当時は、目標というか目的というか、目指すものというのが緩慢で、
気持ちが散漫になっていたなと思います。
そういう時期は、あちこちに目が向き、あれこれ手を出し、それでいて何一つモノにならなかったな、とも思います。
そして当時はとにかく焦っていました。
船の碇の落としどころが分からずに、迷っていた面もあります。
「目指すもの」という軸があると、毎日3時間~4時間を費やしても、
それにお金をどれだけかけても、
焦りや迷い、無駄だという感覚がまったくないこの道に出会えて、本当に良かったな、と思います。
⭐︎2021年1月四週目分のマガジンを公開しました📚
https://note.com/kinugyokutoan/m/md39efa9cb8b3
※今回から守護神について書き始めました。
写真は、なぜ甲木と冬の関係の理解を意識した写真です🌸
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十二大従星の理解が進む内容などに触れています。
⭐︎2021年1月二週目のマガジン📚
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コロナ禍下における商売の方法などを学理の観点から書いたりしています。
⭐︎八相局についてまとまってます。
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