先日、弟の子供が中学に入学しました。
いわゆる「名門」といわれる学校に入学したので、それはそれでおめでたいのですけれど、
子供がいない私目線で見ると、
調子に乗っているんじゃないか?
この先人生をなめた大人になるんじゃないか?
など、余計なお世話と分かっていながら心配は尽きず、
無駄にイライラしたりしています。
算命学を学んでいると、クリアに見通せることも多く、それが心配に拍車をかけている面もあります。
そういう自分を眺めつつ、
「常識を離れて森羅万象の仕組み(=算命学)を尊ぶべし」
といいながら、まだまだ「常識」とか「世間的な価値観」に囚われていることを感じる次第。
私にはどうも、
自分が苦労してきた分、その苦労をすることを押し付けてしまうところがどこかあります。
と、いちおうの反省を述べたうえで、それでも思うところ、として書くのですが、
そうはいっても基本的に人間というのは、
困難を経てはじめて深みのある智慧を得ることにつながり、
孤独の時間を過ごしてこそ飛躍の機会を得るものであるのは普遍的な真理であり、
できるだけ多くの困難と、できるだけ多くの挫折を経験するほうが、
「太い人間」になることができることに違いはありません。
そう考えると、できれば弟の次男には、可能な限り困難に挑戦するような進学、そして人生を歩んでほしいものだと思います。
まぁ、自分の子供でもないのに余計なお世話、ですが。
人体星図において、
東方と北方というのは、相剋であるのが「自然」な姿といわれます。
★北〇
西中東
〇南〇
中央と北方、中央と東方は、相剋であることが自然、というのは、
東方=友人や社会、仕事の人間関係
北方=父親や目上
…といった関係との間では、相剋=摩擦や葛藤があるのが自然であり、
そこで相剋の作用である摩擦や葛藤があることで人間として鍛えられ、練磨されて成長することができます。
相生だと、そういう困難がないので、一見ラクなように見えてその実、成長の機会を逸し、
他人から見て多少不遜というか、人生をなめたような印象を与えることがあるというのが算命学の考え方です。
さらにいえば、
北方と東方というのは、三分法でいえばいずれも若年期の星であるわけで、
これはつまり、若い頃というのはできるだけ相剋=葛藤や摩擦、を経験するのが正しい在り方である、ともいえます。
もちろん、個々の星図の要素にもよるので、すべての人にそれがあてはまるとは思いませんが、
それでも、若いうちからあまりラクをさせるのは良くない、ということは伝わるのではないでしょうか。
本日、紫外線が気にならなくなる時間帯になって10キロほど多摩川の河川敷を走りつつ、
「40代になっても私の人生は苦しいなぁ」と、いうことを考えていました。
これは、経済的なことではなく、「自分の人生が見通せない」ということをもってそう考えていたのですが、
今苦しい、ということは、まだまだ先がある、ということでもあるな、とハタと気づきました。
「満足できない」というのは福音であろうと思います。
スイスの思想家であるヒルティは、
『人生において最も絶えがたいことは悪天候が続くことではなく、雲一つ無い晴天が続くことである。』
と言っています。
今が苦しいというのは忌むべきことではなく、むしろ歓迎すべきことなのだと、
この言葉を思い起こせばよく分かるところと思いますがどうでしょう。
ちなみに、ヒルティは大学では法律学、哲学、歴史を学び、弁護士としてのキャリアをスタートさせたのち、代議士、裁判官を経て、ハーグ国際仲裁裁判所のスイス委員も務められた、有形の世界でも活躍された方でです。
こういう有形の世界を経て無形を説いた方の言葉というのはとても重みがあるな、と思います。
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