金烏玉兎庵

「耳年増」と「謙虚さ」とプラスに向かう仕掛け

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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「耳年増」という言葉があります。

「体験が無いのに、男女間のことをいろいろ聞き知っている、若い女性」のことを「耳年増」といいますが、転じて最近は、

実際には実現にほど遠いこと、まるで実現可能性がないようなこと、
あるいはまるでそのレベルにないようなことを、
吹聴する、大ぼらを吹くような人のことのことも「耳年増」ということがあるそうです。

先日、「銀座の久兵衛はお勧めだよ、行くならあれくらいの鮨屋だよ」と先輩に言われてなるほど、と思い、
お祝い事の際に家族でその久兵衛の鮨懐石を楽しんできたのですが、
そのことをその先輩に報告したら、
「いや、実は行ったことがないんだよ」いわれた、ということがありましたけれど、

そういうのも「耳年増」の一種なのだろうと思います。

世の中で、最高とか高級とかハイレベルとかいうものをさも自分のモノのように語る人、
世の中の有名人とか権力者とかいうような人をさも自分の親密なお客さんかのように語る人、
というのは、仕事面に限らず、ママ友の間などでもけっこういると思いますが、

こういうのも「耳年増」といえるのかもしれません。

20年位前のことですが、

言葉を発するときに、
自分の身の丈、実現可能性というものからかけ離れた言葉を発すると、
その身の丈・実現可能性と、自分が発した言葉の「差額」を徴収される、ということを聞いたことがあります。

端的に言えば、
大言壮語したことと現実の実績との差の分だけ信用を失う、
…と、いうことなのですが、

このことはその裏返しとして、
言葉を上回る実績をつくることができれば信用が増し、社会的な評価が上がることもあるのだろうと思っています。

これを東洋思想という観点でいうなら、

本来の自分の身の丈や実力=中庸

…を大きく超えてプラスに見えるような大言壮語をすることは(プラスに大きく偏らせることは)、
その反動として大きなマイナスを顕現させてしまう、そのきっかけ・仕掛けをつくっているのに他ならない、ということなのですけれど、

その一方で、

本来の自分の身の丈や実力=中庸
…を大きくへりくだって腰を低くしマイナスに見えるような謙虚で控えめにしていることは(マイナスに大きく偏らせることは)、
その反動として大きなプラスを顕現させることに向かう、そのきっかけ・仕掛けをつくっているのに他ならない、ということでもあるのだろう、ということです。

西洋的、というか、アメリカナイズされた人たちは、
自分の成果・能力を、本来の実力以上にあるように見せたがり、
自分の本来のレベル以上のことを、見知った顔で語ったりするものですけれど、

本来、日本人は謙虚さと慎ましさがその国民性としてありました。

これは、そういう謙虚さ、慎ましさというものが、
その先において大きなプラスもたらす仕掛けであることを知っていたのだろうと思います。

なお、この大言壮語やその反対の謙虚さや慎ましさというのは、他人が「目の前の人」を見ても判断が難しいものです。

なぜなら、
その人の「身の丈」というのは、
他人が見て判じることができるようなものではないからです。

つまり、
何をもって大言壮語というか、
あるいは謙虚さや慎ましさというか、
というのは、
自分で判断するしかない、といえます。

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