「負けず嫌い」な人、というのがいます。
「負けず嫌い」というと、「誰か」に負けたくないということなのですが、
世の中には、その「誰か」というのが明確でないままに負けず嫌いな人もいて、
そういう人のことを強いて言うなら、
「誰にも負けたくない人」であり、
そういう人が年を重ね経験を重ねるとだんだんと「自分に負けたくない人」になっていくように思います。
このように書くと、
いかにもかっこよさげなのですが、
そういう「誰にも負けたくない人」であって、その先において「自分に負けたくない人」になってく人というのは、
そもそも「誰か」というの手触り感のある存在としてくっきりと捉えられないから、
明確な対象を定めて「この人に負けたくない」という感覚を持てず、
その対象をくっきりと認識できないから、対象を定めることのない「誰にも負けたくない」ということになるのだろうと思うのですがどうでしょう。
中殺がある人というのは、
個別具体の現実という枠組みを持たない人たちであるといわれますけれど、
このことは、「個別具体の人間」という対象を捉えられない人でもあるんじゃないかな?
ということを考えています。
きっかけは、杉山愛さんのお母様が書いた、
「選手たちにとっての『負けず嫌い』というのは人に対して「負けず嫌い」なのではありません。
彼らは自分自身に対して『負けず嫌い』なのです」
という文章を読んだこと。
書いてしまえばなんてことのない、ある意味では言い古された至極当たり前のことなのですが、
この文章を読んだときに、
あ、杉山愛さんは壮大な枠組みのない現実の中で、他人を捉えることなく(捉えることができず)、自分と戦ったんだな。
…と、思い浮かび、愛さんの命式を調べてみたら、果たして生年中殺の方で、「やはり。」と思った次第。
ちなみに、私は別に自分と戦ってはいませんが、
個別具体の誰かを念頭に、ライバル心を燃やす、ということは経験したこともありません。
これは、自分が圧倒的に勝っているとか圧倒的に負けているとかそういうことではなく、
(圧倒的に勝っているとか圧倒的に負けている、という感覚があると、そもそも競争心は生まれませんね。)
なんとなく、他人と自分が同じ土俵に立っている感覚がないので、そういうライバル心とか競争心が生まれない、ということなのですが、
私はこれまで、それは貫索星・石門星という自我の星がないからだろうと思っていたのですけれど、
愛さんは南方に貫索星がある方で、それでも「他人を競争の対象として捉えない」のなら、
それはやはり、中殺に起因する世界観に理由があるのだろうと思い至りました。
ちなみに、私は競争心やライバル心というのはないですが、
一方で、
人を枠にはめようとする人、
人の個性を型にはめて利用している人、
小さな世界で互助会的に人生をやり過ごし、可能性を制限している人、
…というのには激しく抵抗する傾向にあり、
ときどき、それをもって「競争心」的に指摘されることがあります。
このあたり、枠の中にいて、枠を当たり前に思っているような人からすると、
なぜ私が、その、
人を枠にはめようとする人、
人の個性を型にはめて利用している人、
小さな世界で互助会的に人生をやり過ごし、可能性を制限している人、
…をそこまで嫌悪するのか理解できないので、
それをもって「競争心」と捉えるのだろうと思います。
中殺がある人とない人は、根本的に見えている世界が違う、というのはそんなふうにも現れます。
浅く付き合っているとイマイチ気づきにくいのですが、
深みを増すごとにその差異がくっきりしてきて面白いな、と思います。
⭐︎2021年4月三週目のマガジンを公開しました📚
詳しい命式の読み解き方など書いています🌿
https://note.com/kinugyokutoan/m/m07998cfbb25d
⭐︎2021年4月二週目のマガジンを公開しました📚
天主座気論や大運の活かし方などについて書いています。
https://note.com/kinugyokutoan/m/m8e11a85aba42
⭐︎2021年4月一週目のマガジンを公開しました📚
「理想的な大運の流れ」について書いています。
https://note.com/kinugyokutoan/m/m4de10b4494e7
その「理想的な流れ」を持つ人でなくても、
活躍に向かう処世術の参考になります。
⭐︎サークルはこちら:https://note.com/kinugyokutoan/circle
一日あたり166円くらいです。
⭐︎統合版(2020年4月分〜2020年9月分まで)もあります。
2020年7月分の統合版はこちら:https://note.com/kinugyokutoan/m/mcc226453dbaa