私がかつて親しくしてい人の中には「サラリーマン大家さん」という人が何人かいます。
中には「メガ大家さん」の規模で手広くやっている人もいて、この記事にあるように勉強会、セミナーの講師などもやって、ロバートキヨサキの唱える「キャッシュポイントの多角化」などについて語っていたりします。
デイトレからスタートして、資産規模数百億で運用している株式投資家という人もいます。
その資産があるのになぜ?というくらい、ふるさと納税などもきっちりして、
「もらえるお金は一円も取りっぱぐれない!」
という生き方をしていたりします。
資産10億以上の成り上がり専業投資家というのは不動産投資家にせよ株式投資家にせよなんとなく似た匂いがします。
本来、人間の生きる意味というのは、
その天分の発揮にあるのですが、
そうした成り上がりの専業投資家というのは、
目の前の「作業」でお金を稼げるようになるとその作業に夢中になってしまって回し車を走り続けるラットのようにその生活に埋没していきます。
日々の生活や精神活動、お金の工夫など、私たちの生活に起こる様々な出来事というのは、良いことであれ悪いことであれ、
それぞれに魂を磨くこと、魂を練ることに繋がっているものですが、
お金とだけ向かいあっているような生活をしている人は、魂が磨かれることも練られることもありません。
お金というのはシンボルであり、
それをもって自分の天分を発揮するためのツールなのですが、
そのシンボル、ツールに夢中になってしまって本来の目的に向かうことができなくなっている、
という点で、その手の投資家の人たちは共通しています。
お金を稼ぐ💰ほうに気持ちが行ってしまって天分の発揮に向かうことを忘れてしまっている感じ、
という意味では、案外と中年サラリーマンにも共通するものがあったりします。
最近気になるのは、
取り分け40歳前後の女性の中年サラリーマンで、
彼女たちの場合は、「お金」ではなく「仕事」に向かう傾向にあります。
20代の頃に王道を歩めなかった女性というのは、特にその傾向が強く、
40代前後になってまわりの優秀な女性が独立などで抜けた時期においてようやく出番を得たりすると、「仕事」こそが自分の人生の目的であるような言動を繰り返したりする傾向にあります。
お金と仕事、カタチは異なりますが、
どちらも天分の発揮から遠のき、魂が光らない生き方という意味で共通しています。
ちなみに、
前にその手の女性から、
「算命学とか学んで何の役に立つんですか?」
と訊かれたことがありますが、
よほど突き抜けた人は別にして、
40代くらいになったら「仕事」とか「会社」などで誰かに褒めてもらうことを目指すのではなく、自分が自分に誇れる道を定め目指すべきであろうという気がします。
もっとも、
「仕事」や「会社」において今後突き抜ける覚悟がある人、
誰かのモノサシではなくそれこそが自分の道でありそれによって自分が自分に誇れるという場合はこの限りではありませんけれど。