金烏玉兎庵

相剋の現れ方と消化、想定できること

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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前に、
火性が金性で剋されるとプライドが邪魔をして表現に向かうことができず、結果として本ばかり読み続ける人のことを書きましたが、
同じ火性が金性で剋されている場合において、例えば壮大な自分語りとして発露することもあります。

 

どちらも「不自然」な印象を与えるという点で共通しています。

 

だいたい相剋にに絡む星というのは、
剋すにせよ剋されるにせよ、
その現れ方は不自然な形になるものなので、
上記に関わらず「なんか変」な感じになります。

 

この2つのケースにおいて、
「誰かのために」とか、
「世の中のために」とかいう視点が加わると圧倒的にその表現されるものが自然に伝わってきて評価されるようになります。
※火剋金→火生土、土生金

 

よって、火剋金の相剋がある人は「世のため人のため」に表現するようにするとよいです。

自分語りをする際に、少し引いて客観性をもたせると、他人にも有益な情報になったりします。
こうして相剋を相生の流れにしていくプロセスをこなすことで人間性が練れていきます。

 

なお、これを逆からいえば、
火剋金が星図にあってその表現に不自然さが感じられる人というのは、

「誰かのために」という視点がない、
自分のことしか見えていない、
自分のことしか考えていない人である、

と「想定」することができます。

(実際、だからこそ不自然な自分語りとして発露したりします。)

 

なので、その観点からも「世のため人のため」を取り入れると人間性の向上を促されている、という見方もできます。

 

なお、
算命学で眺める世界というのは整合性があり、全体を支配するルールに貫かれているので、
このように1つの要素からそれと対象をなす要素について「想定」することができます。

 

例えば親子間においても、
親の命式から子供のことを「想定」できたり、
子供の命式から親のことを「想定」できたりもします。
親の命式に現れていないことが子供の命式に現れていて、それが顕現することもあり、算命学とそこから分かる世の中の仕組みって面白いな、と思います。

 

話を相剋の消化に戻すと、
昨日、力量差について書きましたが、
相剋だらけの星図なのに自然に健やかにいる人というのは、
こうした相剋を鍛練により相生の流れにできている人なわけですが、こうした鍛練を経ている人は力量もまた向上します。

 

相剋がたくさんある人は、
鍛練していくことが宿命づけられている人なのですが、こうした鍛練が人生のプロセスにおいて自動的に設定されていることで、自然と世の中で活躍する道が開かれていく人であるともいえます。

 

相生の星図の人の生来の自然さを羨ましく感じることもあると思いますが、
相剋に楽しんで取り組むようにすると、相生ばかりの人にはない充実感をもって生きることもできます。

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