昨日、
『他人のエネルギーに依存しながら生きている人、
他人に寄生しながら生きている人は、
いろいろなところで歪みが出てくる。』
…というようなことを書きましたら、
ツイッターのほうに、
それについて「他力運のことか?」という質問があったのですけれど、
これはそれとはまったく別のお話です。
そもそもの「他力運・自力運」の定義はぐぐるとけっこうへんてこな内容が出てきたりしますが、
高尾宗家が説かれた「他力運・自力運」の定義に則っていえば、
他人のエネルギーに依存している人=他力運の人、
…ということではありません。
あるいは、算命学では宿命として、
「他人の手を借りる」ということが必要な人というのもおられますけれど、
そういう「他人の手を借りるべき人」が「他人の手を借りる」というのも、
先に挙げた、
他人のエネルギーに依存しながら生きている人、
他人に寄生しながら生きている人、
…には当たりません。
…というか私はそういうことを意図したわけではないです。
では、その私が書いた、
「依存している」とか「寄生している」とかいうのがどういうことを指していたかといえば、
自分と似たエネルギーの人(律音の人)のところにいって、
エネルギーを吸い取るような人のことを指していました。
律音については公開ブログでも noteでも、
これまでしつこく書いているので細かくは書きませんが、
未熟な人、自分の本来のエネルギーを生きていない人は、
律音の相手といることでその他人のエネルギーと同化し、
相互に「強くなった気分」になれるものであり、
成長過程にある場合は、
そうやって律音の人とともに在ることにより速やかな成長に向かうことができる一方、
(なので、学校などは「同級生=年干支律音の存在」と過ごすようになっています)
成人し、本来独立した人間として在るべき時期にいつまでも律音の人とつるみ続けていると、
本質的な意味で「自分の足で立つ」ということが出来なくなります。
これは感覚というか印象ですが、
律音の相手とつるみ続ける人というのは基本的に、
「自分の本来のエネルギーを発揮する」ということに対する、
意思も努力も責任もすべて放棄している人
…なのではないかと感じているのですがどうでしょう。
だからこそ、
日干支の律音の人同士の関係というのは、
破壊的なのだと思います。
「他人のエネルギーや運を奪っている気がする」、「そういう宿命です」
…とその質問をされた方が書いておられたそれが、
何を指しているのか具体的には分かりませんが、
昨日書いたのは、
他人のエネルギーを奪うことそのものが悪いというよりは、
他人のエネルギーで生きていく先に「自分の人生を生きることができなくなる」こと、
そういう「自分のエネルギーで生きていない人」の言葉や行動、姿というのは、
この世で誰かに響くとか、何かを成すとか根付くとか、
そういうことにならないものですね。
…という「現象」についての感想を書いた次第。
何事も、本人の選択なのでそれが良いとか悪いとかいうことではありません。
そもそも算命学は善悪を断じません。
よって、
誰かのエネルギーに依存して生きていきます、
というならそれはそれで「悪い」わけではなく、
ただ、それに伴って導かれる不可避の結果は結果で認識しておく必要はあるだろうと思います。
ちなみに、
これも感覚ですが、
それが「悪い」といったからといって、
そういう言葉は、
実際にどっぷりと他人のエネルギーで生きる世界にはまっている人、
「自分の人生を生きていない人」にはまるで届かないものでもあるように思います。
これは例えば、
組織の中で組織に自分を同一化させているような人に「自分の人生とは?」と訊いたところでまるで響かないのに似ているように思います。
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