水性の星がない場合について書いたことについて、引き続きお問い合わせや報告を頂いています。
ありがとうございます。
「知恵の星がない」という書きぶりについて「頭が悪い!」と言われているようだというご指摘があったので補足するのですが、
知恵の星がない人は素直で健やか、という言い方もできるように思います。
一方で、知恵の星がある人は、時に狡さとか計算高さが見え隠れします。
例えば絵を描くときに愚直にその絵の完成に取り組めるのは知恵の星がない人です。
知恵の星があると、どこか効率とか評判、売れるかどうかとかウケるかどうかとか考えてしまう傾向にあり、「純粋な表現」に無心に取り組むことができません。
表現の星が火性であるのに対して、
知恵の星が水性で、水剋火の関係になるのは、知恵が表現を剋してしまうという面もあるように思います。
よって、知恵の星があろうとなかろうと、
どちらが良くてどちらが悪いことではなく、
それぞれに「そういう傾向がある」というだけのことです。
それと認識して、生き方をアジャストしていけばラクに才能を発揮しながら生きることができ、
それと認識せずにいると、起こるべくして起こったアクシデントを「思いもかけない挫折」と驚いて転んでしまったりします。
先んじて知っていれば、相応の準備をして受け流せるものなので、知っておくと良いと思って書いたつもりが言葉が足りず、不快に思った方がおられたようで申し訳ありませんでした。
なお、
算命学に絡めて書く場合、
率直すぎたり辛辣な印象を与える書きぶりもあるかと思いますが、基本的には善意で書いています。
そもそもですが、モノゴトには陰陽の両面があるものなので、良いことの裏には悪い面もありますし、悪いことの裏には良い面もあります。
フランシス・ベーコンの言葉に、
『知識は力なり』という言葉があります。
いろんな使われ方をする言葉ですが、
元々のベーコンの主張によれば、
自然を観察し、その因果律を知り、その自然観察によって得た情報を帰納的に知識として備えていくことが生きていく上での有効な知識となり、それが力となる
という意味の言葉です。
算命学はまさに自然を観察し分類した集大成としての学問なわけで、
それを知ることは生きていく上で有効な知識となり力となり得ます。
無いものを望むのは考えの浅い無知蒙昧の所業であり、
あるものをいかに活かすかに真摯に取り組むのが望まれる在り方と思います。
星の意味一つとっても、
良い意味にフォーカスしがちですが、
悪い意味も知ったうえでそれをどのように良い面を出していくかを考え取り組むことが陽転につながります。
このところ、陰転について重ねて書いていますが、陰転を知ることで陽転に向かうことができるという面もあり、
両面を見て陽転に向かう在り方につながるとよいな、と思っています。