この人と仲良くしていると停滞するな、とか、
その生き方に同調してしまったら、人生が逆回転しそうだな、と思うことがあります。
私は、
「ボクはダメな人間なんです」
という人がキライです。
ダメな人間は許せても、
「ボクはダメな人間だから」とか、
「どうせダメだから」などと白旗🏳を上げてしまう人は耐えがたい。
成長への意欲を放棄する人というのは、
流れを失った池の水に似ています。
何かポジティブなものに向かう「気」を失ってしまうと、
モノでも水でも人でも腐ります。
先日知人が「52期の決算発表をしました」ということをFacebookで書いていて、
すごいな、と思ってその会社の沿革を拝見したら、折々に新しいことに取り組んでおられて納得しました。
魅力的な人(や会社など)というのは、
それが人に評価されるかどうかは別にして、
常になにかしら新しいことに取り組んでいるものですし、
それが新しく見えないとしても、何かしら前に進んでいるもので、
久しぶりに会ってやっぱりキラキラしているな、と思う人というのは、
公言していなくても、
そこに多くの人を巻き込んだりしていなくても、
やはり何か面白いことを考えていたり取り組んでいたりします。
算命学の大前提として、
「世界は前に進んでいる」
「自然の世界は常に成長している」
という考え方があります。
これは
60の干支は必ず「陽」(プラス)になるような組み合わせになっていることに顕れていて、
人間もまた成長し続けることが自然の姿である、ということです。
※例えば「甲子」という干支は、陽の木性×水の水性の組み合わせなので、陽×陽=陽になります。
「丁亥」という干支は陰の火性×水の水性の組み合わせなので、陰×陰=陽になります。
干支には陰×陽=陰のような組み合わせはありません。
人間が成長することを放棄すると、
現実としてロクなことに遭遇しなくなりますし、
場合によっては命の危機にすら陥ります。
仕事にやる気を失ってしまった人が恋人も友達も失ってしまうとか、
何かに絶望し、本質的に自暴自棄になってしまった人が事故で命を落とすとか、
そういう「弱り目に祟り目」的なことが起こるのは、陽の螺旋ではなく陰の螺旋、
人生の逆回転にはまり込んでしまったことによります。
面白いもので、
例えば飲食店の店主などが、成長への意欲を失い陰の回転に入っていると、その作る料理を食べればすぐにそれと分かったりしますし、
ネガティブな方向の資料などは、その資料の表紙を見ただけでそれと分かったりします。
人のポジティブな気持ち、
成長に向かう意欲、
世の中をより良いものにしていくという思いというのは、
意識してみるとくっきりはっきり分かります。
それに自分が興味を持っていなくても、
むしろキライな何かであっても、
そこにそういう陽の螺旋を登る気配があると、なんとなく認める気持ちになったりします。
「常に成長し続けるなんて疲れるでしょう」
といわれたりしますが、
果たしてそうでしょうか。
実際に成長に向かっている人たちが、
「僕はダメな人間です」
という人よりもずっと楽しそうでキラキラしていることを考えるに、
多分、成長を堰き止めて生きる方が疲れるのではないかと思います。
自然の姿は、
成長していく流れの中にあるものなので、
多分成長に向かう方がラクで自然です。
昨日、お久しぶりな友人と過ごして、
できる限りそういう成長の気の中にいる人と過ごしていたいな、と思いました。