かなりどうでもいいお話ですが、
芸能人を呼び捨てで書いている人や、
職業を呼び捨てにしている人、
…を見かけると、ドキッとします。
例えば、上戸彩ちゃんのことを「上戸彩」と書いているとか、
消防士さんのことを「消防士」と書いているとか、そういうのを見かけると、
なんとなく、近づくことを躊躇してしまうというか、敬遠したくなるというか、
暴力的な印象、あるいは傲慢な印象を受けて、怖くなる、
…そんな風に感じます。
実際には、モノの仕組みをよく認識していないような、
まだ若い人とか、浅いステータスの世界で生きているような方に多いので、
単に「知らないだけ」ということなのですが、
ちょっと言葉が強くて恐縮ですが、
「馬鹿ほど怖いものはない」という言葉が浮かぶような怖さを感じます、すみません。
このあたりは、
私のまわりにそういう言葉の使い方をする人がほとんどいないのでそう感じるだけかもしれませんし、
私がそういうことにセンシティブなので、
私の回りではそういう言葉を使わない人が多いから多少過剰にそう感じるのかもしれませんが。
さて、算命学では、
「精神性が高まれば、天中殺などの禍を環境に見るようになる」
…というようなミラクルなことがいわれたりして、
それを知っている多くの人が、
それぞれせっせと「精神性を高める」ことに取り組んでいたりします。
けれど「精神性が高まれば」などと漠然とした言い方をされるものだから、
その取り組みのプロセスというのは本当にめいめいバラバラで、
「これ」という決まりごとが定められているわけではありません。
これについて思うに、
芸能人を呼び捨てにしないとか、職業を呼び捨てにしないとか、
そういうのも一つの「精神性の高さ」につながるのではないかな?と思ったのですがどうでしょう。
というのも、
芸能人であれ、税金からお給料をもらっているお仕事の方であれ、
「自分とは別世界の人」という分断の感覚があるから「呼び捨て」になるわけで、
そこに「自分と同じ人間で、自分の世界の中にいる人」という調和的な感覚があれば、
「呼び捨て」にはならず、
調和の先においては、
世界が大きく広がり、禍の気のエネルギーの逃げ場が、
自分の身の回りに限定されず、遠いところにもその発露できるからです。
つまり、
「広く人間関係を持つ」ということをすると、
その「禍」のエネルギーの逃げ場の選択肢が増えるので、
身近なところでその「禍」が起こりにくくなり、
「不調和を起こしながら」
「狭い世界を生きる」
…ということをしていると、禍のエネルギーは自分のその狭い世界にしか顕在化することができないので、
結果として、自分や自分の身近なところでその禍のエネルギーが顕在化し、苦しいことになりがちであるように思います。
これを言い換えれば、
狭い世界であちこちぶつかりながら生きていると、
その不調和を造る在り方によって散法のエネルギーが破壊的な形で顕在化し、
さらにその「破壊」の行き場が近くにしかないために、
自分や自分の身近なところでそのエネルギーが顕在化する、ということです。
昨日、現国の先生が逮捕されたことで西方対冲が消化されていたことを書きましたけれど、
それ付随して、そんなことを考えました。
まだ続きがあるのですが、これは明日書きます。
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