昨日書いた、
「現実が盤石ではない」
ということについて質問をいただきました。
あの投稿は、
実は自分的にけっこうチャレンジャブルで、
あの手のことを書くと「算命学の学び手としての自分」、「組織人としての自分」の立ち位置を著しく損なったりします。
しかし極たまに、
そこに強く反応してくれる人がいて、
自分の「ちょっと常識とは異なる部分」を共有できる人を見つけられたりして、そういう試金石として有効です。
さて、前置きが長くなりましたが、
いただいた質問は以下の通り。
『これは「想念が現実を連れてくる」ということなのでしょうか。
霊感はないのですが、「うまくいくこと」は割とわかるんですよね(天胡星?)
現実に執着がないから?(戌亥天中殺?)
わたしも無意識に(自覚なく)何かを壊しているのかもしれないなと感じました(西の対冲?)』
以下、私の考えですが、
身弱の人、特にエネルギー4以下の天胡星、天報星、天極星、天馳星というのは、ビジョンの担い手なんだろうと思っています。
実働で世界を作っていくのではなく、
天胡星は人類の過去から未来へわたる歴史から得るビジョン、
天報星は人間の生命としての命の広がりから得るビジョン、
天極星は人間の命の先に広がる世界から得るビジョン、
天馳星は人間が宇宙の中の一個の生命であるという世界観から得るビジョン、
を見つめていて、
そのビジョン通りの現実を生きている、という印象があります。
例えば天報星は命が成長していく中でどんどん変化していくのと同様に、
現実の中でも様々な変化を実際に経験していく傾向があります。
天報星の人にとって転職とか縁のない場所を転々とするような引っ越しは極めて当たり前であって、
そういう激動の中にあってその変化を興味深く眺めて生きつつ、涼しい顔で楽しんでいる感じがします。
天馳星の人は、普通の人ではちょっと受け取りきれないような壮大なスケールの人間関係を疲れることなく築けたりしますし、
(身強、身中の人の場合、自分と異なりすぎる人との関係は多くの場合強い疲労を伴いますが)
目の前に与えられた仕事があれば、無尽蔵にこなせてしまったりします。
ブラックホールのように、というのが適切な表現かわかりませんが、
どんなものでも呑み込めてしまう、そしてそれでいてそれを成したあとも飄々てして、荒涼とした世界にただ一人でふらりと佇んでいるような感じがあります。
この2つは、思考において空間的な広がりがとても大きいです。
天極星や天胡星の人は、空間的な広がりというよりは人間の生命という軸における線的な広がりです。
天極星の人は、人間が最終的にどこに帰結するのかを見通していて、一言でいえば悟り切った世界観を生きていて、
ゆえに怒ったり、何かに執着したりすることなく、それでいて揺らがない強さがあります。
引越しや転勤、異動などの空間的な変化もありますが、それは人間の営みの中で、それに逆らわない(逆らうことに意味がない)ということの結果だろうと思います。
天胡星の人は人間が生きているその世界の歴史を見通します。
挙げた4つの星のうち、唯一身体が現実世界にある星なので、立ち位置は現実世界にあり、
その立ち位置から見える現実的な事柄の過去と未来、本質を見通して、本来あるべき「美しい世界」と異なる点、そうした世界との乖離を直感的に認識します。
一方で、調和的なものや在るべきとおりに存在するものには感応し、それをこよなく愛し大切にしたりします。
そしてその選択の結果として、自分のまわりの環境が自分が感応した美しい世界に「成って行く」感じがあります。
教科書には書いてないですが、
教科書に書いてあるそれぞれの星の意味を演繹するとそういうことかな、と思っています。
(まだ確定的にそう認識しているわけでもないので、今後修正するかもしれません。)
質問の「想念が現実を連れてくるのか?」ということについていえば、
この4つの星は、もともと精神性の星で「想念を生きて」いるので、
現実がどうであろうと明確で適切な想念があれば、それを抵抗なく選択し、
その「向かいたい現実」に軽々と向かえるのだろうと思います。
現実におけるプロセスを無視して、
「それができる」
という確信を持つことができるから、
その現実に向かえる、
という言い方もできます。
その意味では、身中、身強の人でも、
そうした確信を自分の中に築くことができれば、同じように軽々と既存の現実を超えられるかもしれません。
「戊亥天中殺だから?」
という質問ですが、
確かにそれもありそうだな、と思いました。
戊亥天中殺の人は、
そもそも現実に立脚しないので、
現実を簡単に超えます。
戊亥天中殺でも、現実にしがみついて現実的に生きている人はけっこういますが、
そこには多くの場合苦悩が伴います。
申酉天中殺の人が現実をキラキラと忌憚なく生きているのとはまったく異なる、
茨の道を生きている感じです。
なので、先に挙げた4つの星と共にあることによって、その4つの星が稼動しやすいだろうと思います。
その4つの星は、「現実が生きにくい」、ある意味では「現実にいじめられる」、「苛まされる」ことによって稼働するので、戊亥天中殺の人はその環境が整いやすいと思います。
しかしそもそも天中殺は精神構造の類型なので、現実がフレキシブルに変わることの理由はやはり十二大従星のほうにあるのではないかな?
と私は考えます。
最後に、
「現実が壊れやすいのは西方対冲だから?」
という質問ですが、
その視点に気づいていませんでした。
他の、例えば西方に支合とか半会などがある場合には、怒ったり嫌に成ったりしても現実が壊れないのか?
ちょっと検証してみようと思います。
この方は私に西方対冲があるということを踏まえてこの質問をくださったのですが、
実際、現実が壊れるのは、
「もううんざり」というある種の結果への意図、
「これは無理」という自分の目の前に現れた結果へのジャッジの先に起こるので、確かにそれもありそうだな、と思います。
長々と書きましたが、
良い質問を頂いて、考えを整理することができ、
また、改めて検証すべき課題を頂けたことに感謝です。
ありがとうございました。