金烏玉兎庵

最身強の混迷

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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最近気づいたのですが、
天将星が二つとか三つとか、
そうでなくても天将星+身強の星、
みたいな組み合わせの最身強で、
かつ知性の星の支えがない場合、
わりと茫洋とした雰囲気の人が多い気がします。

 

「茫洋」をぐぐると、
広々として限りのないさま。
広くて見当のつかないさま。

という意味がでてくるのですが、
転じて「捉えようがない」とか「得体が知れない」という意味もあります。

 

天将星+最身強の場合、
そのエネルギー世界がまさに壮大で限りがないので、
余程しっかり消化していかないとそのエネルギー世界を持て余す、
その持て余した人たちの雰囲気が「茫洋」としているように思います。

 

知性の星の支えがある場合、
方向性が定まりやすいからか、あまり「茫洋」という感じはないのですが、
龍高星とか玉堂星のない最身強の人の場合、
「茫洋」とした感じで、
身強らしい「強い」とか「しっかり」のような雰囲気が出てこない感じがあります。

 

少なくとも、
天将星一つの人の王様然とした雰囲気はなく、
どちらかといえば「腕力を持て余した大きな子供」のような雰囲気になることもある気がします。

 

知性の星の支えのない車騎星はどこへ突き進むか分からない雰囲気があったりしますが、
最身強で知性の星の支えがない場合、存在感はあるのだけど何を考えているのか、どこへ向かおうとしているのか分からない、
本人すら自分がどこへ向かうべきなのか分からないのではないかという印象があります。

 

天将星一つですら、
ある分野でトップをとって初めて陽転するので、それを持つ人はそれだけで大変な試練や葛藤を経てそこへ向かう必要があるわけですが、
それが二つも三つもあると、
本人ももうどうしていいか分からない、
というのも当たり前といえば当たり前です。

 

イメージとしては、
最身強の人は
広大な土地を与えられたけど、それを一人で耕すなり開発するなり何らか利用・活用する必要がある人で、その方法や道筋がわからないと、
その広大な土地で彷徨ってしまうという感じです。

 

知性の星がない人は、
きちんとした師匠につくことで自ら考え知恵を出すことができなくてもその人生を価値あるものにできるといいますが、
最身強の人は多分そういう師匠の存在が誰よりも必要な人なのかもしれません。

 

「勝者の混迷は敗者の混迷よりも深刻である」

というのは塩野七生さんの『ローマ人の物語』に出てくる言葉ですが、

「最身強の混迷は身弱の混迷より深刻である」

といえるように思います。

 

ちなみに、
私の弟は天将星二つの最身強、
今は大きな会社の中間管理職などしていますが、なんとなく混迷している感じがあります。
まわりの最身強の人も、
サラリーマンの人は、
職場において様々に問題を抱えていると聞きます。

 

天将星プラスαの最身強の場合、
サラリーマンなどでは社長になっても消化しきれないので、本来はもっと別の世界に活動の幅を広げるべきなのですが、それができている人はあまりいない気がします。

 

ちょっとネガティブな感じのことを書き連ねましたが、

最身強の人は、大きなエネルギーを持つ分、その消化には人並みならない試練がある、

いうことを念頭に、ガツンと方向を定め、しっかり消化していくことをお勧めします。

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