正しいことを正しいとわかってもらえるように伝えることは、想像をはるかに超える難しいことです。
例えば会社のルールとか目標とか、
あたかも鉄壁の正しさを持つかにみえるものでも、
相手が定年間近の役席経験者とかになると、
「はいそうですか」
とはいかないもので、
それっぽいデータで資料をせっせと作って抵抗されたりします。
そもそもデータというのは自分の欲しい結論に向けていかようにも加工できるものなのですが、
中身を理解していない人などは、
「あーそういうものか」
と、さっくり納得してしまったりするのでデータの扱いのうまい屁理屈屋さんというのは始末に負えない。
矢面に立ちたがらない上席と、
屁理屈ばかりでいっこうに動かない役席経験者のに挟まれたひどくつかれる打ち合わせの中で、
「精緻」にみえるその「データ」のおかしいところをこんこんと説明し、
その上、その「データ」がおかしいことを証明するための資料を作るという極めて不毛な仕事のために残業した昨日。
データを別の角度から再構築したり、
「現場の証言」で裏どりしたり。
まぁ、これで納得してもらえるなら必ずしも「不毛」ではないわけですが、
少し現場と話をし、少し奥行きある視野を持って真面目にデータを見れば分かりそうなことを、
保身のために端っこのデータを切り貼りした「資料」で対抗された、それにさらに対抗するための資料であるという点で極めて不毛です。
前置きが長くなりましたが、
ここからが本題です。
こういうガチンコの仕事をするときには、
当然上司の意向に沿ったものであり、
少なくともチームの過半の賛同を得て環境を作り、
静かに穏やかに詰めていくのが正しいわけですが、
そういう環境を整えたにも関わらず、
なぜか不要な禁じ手をこちらが使ってしまうということがあります。
長いものには巻かれておく、
無駄に戦わずに省エネ人生、
働かない人も笑顔で華麗にスルー。
少なくともオモテではそうしてあるべき王道を、
きちんとそのとおりに進めれば難なくコトは想定通りに運ぶのに、
なぜかうっかり自爆してしまう。
無駄に戦って、
本来誤解の余地なく正しいことについて、あたかもこちらが間違っているかのような印象の空気をその場に作ってしまう。
いってみれば、
明らかにこちらに有利な状況で、
まんまと相手の思惑どおり墓穴を掘ってしまう感じです。
久しくそういう状況について気になっていて、
昨日その状況になって改めてそれについて考えていて思ったのは、
多分そういう相手というのはある種の神通力のようなものを備えているのではないか?
ということ。
「神通力」などというとおどろおどろしいですが、
いってみれば年輪を重ねた人の強い意志や物事への強い執着、
何年も、何十年も繰り返し何かを行う中で抱いた想いの壮大な積み重ね、
そういうものから生じる力のようなものがあって、
そこに経験や考えの浅い人間が少々正しいことで臨んだところで転んでしまう、みたいな。
何百年もの樹齢を持つ大樹とか、
古狸や老いた蛇🐍というのは霊力を持つと昔の人は考えましたが、
それと同じようなことな気がします。
多分、そういう状況に陥ったことのある人しか分からない気もしますが、
経験の長い人や物事に強い執着を持つ人というのは案外とそれだけで強い神通力のようなものがある、
と考えれば、いろいろと納得することもあります。
世の中の「抵抗勢力」というのは、
そういう神通力を持った人たちの集まりであるともいえるかもしれません。
それにどう備えるか?
ですが、
触らぬ神に祟りなし、と触らないでいるか、
どうしても通したい何か、変えたい何かがあるなら、
相応の敬意を払い、十分な配慮をしたうえでそれをするのが良さそうです。
まぁ、
こうして結論を書いてみれば組織論における定石に帰結するのですが、
コトが神通力によるものだと分かれば、
自分もその神通力を持つべく、
強い拘りや圧倒的な活動量、徹底した分析思索を重ねたうえで臨む、
というやり方へ向かう方法もあるということが分かります。
ちょっと見には不可思議に思われそうなことを、こんこんと書いてみましたが、
思いや行動の蓄積というのはやはり大きな力を持つのだろうと思います。
当たり前ですが。
それを軽視しては転ぶ。
そのことをよく覚えておこうと思います。