人生に目的を持った人に向けの内容です。少々過激なのでご注意ください。
また、大衆向けの商売や娯楽を目指す場合も当てはまらない点があります。
何かに本気で取り組み始めたら、
無駄に反論する人とか、
方向性がまったく異なる人とかいうのは、
それが友達とか仕事仲間とかの場合、
バサッと断ち切ってしまわないとダメだろうと思います。
その手の人は、
試行錯誤をしてるときとか、
あるいはその本気で取り組んでいることが一旦の完成を見て安定維持期に入った段階で関係を持てばいいのであって、
いわゆる活動期においては鋭く果敢に突き進む、掘り下げることが大事です。
それぞれに生きる価値観なり方向なりがあるわけですが、
自分のそれを批判したり揶揄したり、あるいは貶めたりするような人というのは、
濁りや歪みを生み、
百害あって一利なし、です。
切磋琢磨が大事だとか、
「友達」は大事にとか、
世の中の人はそんなふうに言ったりするのですが、
そういう「常識」は特に大きな志なく、平和にふつうに生きていきたい人に差し上げて、
大志のある人はコトの本質をよくよく見極めて在ることが大事だろうと思います。
たくさんの人に認められる、
たくさんの人に受け入れられる、
そこに背を向けるのは寂しくないですか?
ということを言った人がいましたが、
たくさんの人を惹きつける禄存星は、
調舒星の孤独から生まれます。
孤高の中で研鑽し、
独自の表現を手にした先でしか、
本質的に多くの人を惹きつけることはできません。
調舒星を通過しないで得た「多くの人」というのは、
晴れの日に傘を貸し、
雨の日に傘を取り上げるような、
そんな日和見主義な人たちです。
ちなみに、
調舒星の孤独を通過して禄存星で大衆の心をつかんだ先に牽牛星の名誉があります。
※調舒星(陰火)→禄存星(陽土)→牽牛星(陰金)
そもそもですが、
大成した人で主義主張の曖昧な馴れ合いの関係を後生大事にキープした人ってあまりいないように思いますがどうでしょう。
なお、人を切るときにはルールがあります。
これを侵すと自らに禍がふりかかるので注意が必要です。
算命学に、
「東座の貴を切ろうとも、南座の賎を切るべからず」
という言葉があります。
同格の存在は東座にあたり、
この東は現実の出発点の位置ですが、
そのスタート地点が自分を剋すため、
切っておかなければ進むことができません。
同格の存在で自分の人生に干渉する人は切っておかないと自分の人生を脅かすので、そこには切ることに大義があり、切っておかなければならない存在ということになります。
一方で、目下・格下、低いところにいる相手というのは南座にあたり、
これは精神の未来なので、
それを切り捨てることは自分の精神の未来を切り捨て、人生に揺るがすことになります。
よって、その存在に手を出すべきではありません。
目下に対して自分から絶交する、
部下をクビにする、ということは、将来的に自分の立場を危うくします。
但し、その目下の人間が自分と同格意識を持って干渉してきた場合は別で、やはり切り捨てておく必要があります。
これが、
「東座の貴を切ろうとも、南座の賎を切るべからず」
のざっくりとした意味です。
使うタイミング(状況や時期)に応じて少し考慮が必要な点があり、
本当に使うときは検証すべき点がいくつかあるのでご留意ください。
参考:『原典算命学体系』第4巻