「みんな仲良く」
というのは、とても美しいビジョンではありますが、
何か目的がある場合には、
本来成立し得ないものです。
海外ドラマ『ブラックリスト』で、レディントンは国際連合の存在が不思議だと言っていますが、
さすがユダヤ商人らしい適切な指摘です。
人間が何か目的を果たそうとするとき、
それを的確に果たしたいと思うなら、
時と場所とそれに関わる人、その方法、
そしてそれを果たそうとする自分のことをしっかりと吟味し、
必要な要素を取捨選択しなければなりません。
何かを選び、
何かを捨てる、
ということをしなければ、
目的を果たすことはできません。
時、時代を選び、
場所、環境を選び、
人、それに関わる人を選び、
方法、適切な方法を選択して、
自分の持つ役割のどれを顕現させるのか?
を選ぶ必要があります。
その5つの要素を算命学では「軍略五界」といいます。
目指す何かを果たすには、
そうした要素を吟味して取捨選択しなければなりません。
何一つ選び取ることをせず、
捨てることもなく、
円満に平和に穏やかに、
みんなと仲良く生きていくことももちろんできます。
人のサポートに徹したり、
誰かのお手伝いをしたり、
そこに責任がなく、
その役割に徹する限りにおいて。
そういうある意味「お気楽」な生き方も、一つの生き方としてありえるものではありますが、
その場合は自分の宿命の役割を果たすことは諦めなければなりません。
(それが不幸なわけではありません。
自分が宿命の役割を果たさなければ、子供なり孫なり、後の世代がその役割を果たしてくれます。)
泣いて馬謖を斬る
という言葉がありますが、
目的を持った人は、そういう非情さを持つことが必要です。
リストのラ・カンパネラの壮麗な旋律を情感豊かに弾き上げるフジコ・ヘミングというピアニストがいますが、
彼女はその旋律を万人に届けるまでには数多の試練が必要でしたし、
世界に冠たる大企業、例えばソニーとかパナソニックなども、その創業期には並々ならぬ苦労をしているものです。
物事が最初からなんの障害もなくうまくいく。
みんながハレルヤと言いながら喜んでくれる。
そんなことがあったとしたら、ちょっと疑ってみた方が良いでしょう。
それは他人の道なのではないか?
他人の車を乗り回して満足しているのではないか?🚗
他人の道を行くことで学べることや身につくことも確かにありますが、
それを他人の道と気づかずに生き過ぎてしまうと、
どんどん宿命から逸れていきます。
年に一度くらいは、
どのタイミングで、
どんな場所において、
どのような人たちと、
どんな方法で、
どんな役割をこの世界で果たすのか?
について、考えてみても良いかもしれません。
そして、
ある程度、自分の身の回りを整理してみた方が良いように思います。