「喧嘩はダメですよ」
と一般的には言われます。
私は親にそう言って育てられました。
会社などでも、
「争い事は避けましょう」
と、やっぱり言われます。
でも、
車騎星があるひとは、
そこに正義や大義名分があるなら、
ガツンと喧嘩したほうがいいんじゃないかと思います。
喧嘩はダメ、不満もダメ、といわれても、
車騎星のある人は、
正義に悖る出来事には耐えがたい性質があります。
世の中、
それは違うんじゃないかな?とか、
それは間違ってると思うな、とか、
ありますが、
車騎星のある人は、
そういうことに敏感です。
なぜ敏感かといえば、
それを正す役割を、
車騎星のある人は担っているからです。
もちろん、
喧嘩とか、間違いの指摘とか、
場合によっては立場を危うくすることもあるかもしれません。
でも、
多分、車騎星のある人は、
そこで戦う役目があるんじゃないかな?
と、最近思います。
ここ半年くらいのことですが、
私はセクハラを我慢しなくなりました。
世の中の流れで、
そうした我慢をしなくて良さそうな風潮がある、そのおかげです。
仕事上のおかしなことも、
騒ぎ立てないように注意しながらですが、
(そこは私の成長したところ)
言うべきことは静かに、でもガツンと言うようになりました。
それで困ったことになったかどうか、
正直今のところよくわかりませんが、
まぁとりあえず、
まだ困ったことにはなっていません。
私の正義を、
できる限り「組織の正義」と言えるように、
自分なりに考えているというのも、
もしかすると奏功しているのかもしれません。
まぁ、何事も時間がたたないと分からないこともあるので、
なんとも言えませんが。
ありがたいことに、
今私の周りにいてくれる人は、
私が正義のために戦うことを抑えようとはしない人たちです。
私が自分の正義を表明するために、
様々に戦うこと、
その延長で人と距離をどんどん取っていることを、
否定したり非難したり、しない人たちです。
そういう環境にあって思うのですが、
車騎星のある人は、
ある程度戦った方が良いように思います。
責任は取れませんが、
様々に振り返ってそう思います。
車騎星の消化方法って、
スポーツで勝負するとか、
営業で競争するとか書いてあるんですが、
根本的には「正義のために戦うこと」がその本分です。
なので、
喧嘩を推奨するわけではないですが、
「自分の正義」
を、標榜できなくなった車騎星は、
陰転する気がします。
車騎星は、
『上手な喧嘩の方法と、
喧嘩をする相手の選抜方法を身につけた上で』
という枕詞はつきますが、
しっかり喧嘩をした方が良いと思っています。