何事であれ、7割くらいの完成度、達成度であれば、
宿命から逸れていても、
才能がなくても、
まぁ到達することはできます。
しかし、8割、9割、10割、そしてその先のオリジナリティということになると、
やはり宿命に添い、才能の支えがなければ到達できません。
達成度の低い人に囲まれて過ごしていると、自分の達成度が低いことに気づかないものですが、
達成度、完成度の高い人たちの中に入ると明確に「足りていない」ことに気づきます。
人生において、
「良いものに触れましょう」
ということが言われますが、
良いものに触れ続けていると、
自分の達成度がよく分かりますし、
自分が目指すべき場所も、よく分かるようになります。
早い段階で自分の道に気づき、
人生を効率的に生きようとするなら、
「良いもの」
「完成度の高いもの」
そうしたものを生み出す人、
そうしたものを追求している人、
というのに、
万難を排して接するようにする必要があるだろうと思います。
すべてがすべて、
完成度の高いものである必要はありませんが、
少なくとも自分が目指す道に関する限りは、
一流のものを選び続けるのが、
最も効率的で最短距離、
だろうと思います。
「完成度」というと、完璧を目指すのが良いように聞こえそうですが、
目指すところは「自分独自の完成度」です。
自分を取り巻く世界は、
自分の命式の相似形で出来ています。
自分の命式の相似形の世界で命式は最も輝く、という言い方もできます。
そうした自分の命式の相似形が完成形であり、目指す場所はそこです。
人は、
自分の命式の相似形の世界は看破することができるので、
その相似形の世界における役割を担うと、他の追随を許さない活躍をすることができます。
完全格の人は、完全性を目指すべき人で、
完全格なのに不完全なもので妥協していると、不完全な格の人にも劣る存在に成り果てます。
「そこまで拘らなくても」
「みんながみんな完璧ではないのだし」
というような言葉を間に受けてはいけない人です。
破格の人は、破格の箇所を立て直すべき人です。
自分の持つ破格の箇所の本質を看破できる人なので、その破格の部分を立て直す方法を本能的に知っています。
格の破れを知る者として、
そこを再建することに取り組むと、見事に活躍することができます。
破格の場所と関係のないところで頑張っても、空回りしがちであったりもします。
破格に取り組んでこそ活きる人といえます。
分かりやすいので完全格と破格をサンプルとして挙げましたが、
支合などはある種の合理主義があるべき姿ですし、
半会は世界を広げていくことに役割がある、といったふうに、
自分の命式が活きる場所で自分の命式を完成させていく生き方が、目指す場所、ということになります。
昨日は尊敬する女性にお誘いいただいて、人生初の宝塚を楽しんで参りました。
超一流のエンターテイメント、
本物のプロフェッショナル。
色んなことを考えさせられました。