「開運」の基本は、
発展的な運気のときにガツガツ行動し、
衰退的な運気のときに守りを固めることです。
天中殺とか位相法の分離条件のときは控えめに、
位相法の融合条件のときは活動的に。
干支の流れでいえば、
退気のときは新しいことにどんどんチャレンジし、
進気のときは自分という枠組みでそれまで経験してきたことを咀嚼し、収めていく時期です。
と、書いてみましたが、
運気が旺盛なときに「どんどん活動する」の活動するってどんな風に?
あるいは、
衰運や、衝突や諍いを生むような機運のときに「守りを固める」、それってどんな行動なのか、
というのはちょっと分かりにくいです。
そう思っていたら、
『論語と算盤』に書いてありました。
逆境の対処法として、渋沢栄一は
「まず天命に安んじ、おもむろに来たるべき運命を待ちつつ、弛まず屈せず勉強するのが良い」
と言っています。
自分の宿命の流れをきちんと認識し、
そういう時期だと割り切って、
動じることなく時を待ち、
静かな自信(自分を信じること)をもって学ぶということ。
確かに、天中殺の時期は学ぶのに良い時期ですよ、と言われますが、
天中殺に限らず、モノゴトがうまくいかない時期というのは静かに勉強するのが良いように思います。
なお、『論語と算盤』には、
「処世術とは、身を修めることの一事につきる」
と書いてあります。
身を修めるとは、箸の上げ下ろしに意識を集中するようなことから始め、
次に心がけるべきは自分を知ることだそう。
確かに「自分を知る」ことは大事で、
その適性がないのに無理やり頑張ったとしても、人にも自分にも益することのない結果になります。
「勉強する」の中には、そうした「自分を知る」ということも含まれるだろうと思います。
「どんどん行動する」とはどんなことかといえば、
何がモノゴトの道理に適うかを見極め、
その道理に適ったやり方をすれば国家社会の利益になるかを考え、
さらにしうすれば自分のためになるか?を考える。
そうして自分のやるべきことを定めた上でそれに鋭意取り組んでいくのが良いそうです。
なお、渋沢栄一は自分のためにならないことでも国家社会のためになるならやるそうですが、
「国家のため」とか「社会のため」という「自分」より大きなもののために、という考え方は、それによって引力を得ることが出来ます。
3月の半ばごろ、『陽の因果応報』というタイトルで引力については少し書きましたが、
何かに取り組むとき、自分以上の力を発揮するため、天の気の支えを得るには、
こうした「国家のため」とか「社会のため」という壮大なビジョンを持つことが必要です。
よって、自分の一つの行動から最大効果を引き出そうとするなら、
こうした大きなビジョンを持つことが効率的。渋沢栄一はさすがそのことを認識していたのだな、と思いました。
ちなみに私は天中殺に入る前半年から算命学を学び始め、天中殺期間は学びの時期と決めています。
また、それを拙いながら発信しているのは、
日本人が日本古来の思想の素晴らしさを再認識し、それを生かしていく社会になるといいな、と考えているからです。
いろいろやることが溜まっているのですが、「それを生かしていく社会」というのに資することも、天中殺が明けたら少しずつ取り組んでいきたいな、と思っているところです。