金烏玉兎庵

二十四節気 清明と中庸の在り方

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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本日は二十四節気清明
あらゆるものが健やかに清らかに、明るく生き生きとある季節。
清新な光の中で命を寿ぐ季節です。

中国では、この清明節の時期、お墓詣りにいってお墓の掃除をするそうですが、
これは、生ける命を寿ぐのと同様に、
死せる命を尊ぶ、中庸のあり方の一環です。

風水などでも、
自分の家、現世の家を陽宅、お墓を陰宅といい、その陰陽を同等に大事にします。
自分の家を建てる場合にはお墓も同様に建てる必要があり、
自分の家をキレイにリフォームする場合は、
お墓も同様にきちんと手を入れていく必要があるといわれますが、それと考え方は同じです。

中庸にはいろんな意味がありますが、
こうした生きている世界と死後の世界を同様に大事にすることもその一つ。

「同様に」
というのが、現代日本に生きていると分かりにくいのですが、
目に見えるもの、目に見える世界と、
目に見えないもの、目に見えない世界を「同等に」大事にする、
生きている家族と、他界した家族を、
「同等に」大事にする、
という感じです。

家系において先に他界している人たちというのは、
現世に生きる人たちを生かしてくれる存在です。

そうした人たちを、
現世にある家族と同様に訪れて心を尽くし、
元気な姿を見せて安心してもらう。
清明はそんな時期でもあります。

暦の意味を大事にしていると、
他界した人を大切にする行事がたくさんありますが、
中庸を実践するためのナビゲーター的な意味があるのかもしれません。

お金持ちになる人や立身出世をする人はご先祖様を大切にし、お墓詣りを欠かさない人が多いですが、
現世利益のためには、こうした陰の世界を大切にし、中庸に在るからなのかな、と思いました。

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